バイクの一大ブームが巻き起こった1970年代〜1980年代には、数々の名車が生まれると共に、バイクに関するいろんな用語なども生まれました。それらの多くが今では使われなくなった死語といえるものですが、一体どんな意味があったのでしょうか。いくつかピックアップして紹介します。
単車(たんしゃ)
昭和のバイク乗りには、バイクのことを「単車(たんしゃ)」と呼ぶ人もいます。筆者もその昔使っていたのですが、若い人などの中には「タイヤが2つなのに何で単車なの?」と不思議に思う人もいるでしょう。
バイクを単車と呼ぶ理由については諸説あります。まず、単車の「単」は単気筒エンジンの「単」であるという説。昔のバイクは、単気筒エンジンを搭載していたモデルがほとんどだったため、「単車」と呼ばれるようになったという説です。
また、エンジン音が「タンタンタン・・・」と聞こえるバイクが多かったためという説もあります。これも、おそらく、単気筒エンジンの音を意味していたのでしょう。排気量やエンジンの気筒数などのバリエーションが豊富となった現代では、エンジン音も多様ですから、「タンタン=単車」といった発想にはなりにくいですけどね。
さらに、側車付きバイク、いわゆるサイドカーに対し、側車のないバイクを「単車」と呼んだという説もあります。これは、終戦直後の日本で、バイクというとサイドカーが一般的だったためといわれます。当時、サイドカーは荷物の運搬用として重宝されたのですが、時代が進むと共に4輪車が普及。サイドカーの需要がなくなり、バイクは側車なしの単体で走る乗り物となっていったといいます。そこで、「サイドカーを外したバイクだけの車体」を意味し、バイクを単車と呼ぶようになったそうです。
いずれにしろ、単車は昭和の時代に生まれた用語ですから、今の時代に使っている人のなかには、「旧車」や「絶版車」的な意味合いも持たせているかもしれませんね。おそらく、電子制御システムなどがないため機構はシンプルだけど、味わいのある昭和のバイクを意味しているのだと思います。
HY戦争(えいちわいせんそう)
「H」はホンダ(HONDA)、「Y」はヤマハ(YAMAHA)のことで、1970年代後半〜1980年代前半頃に巻き起こった両社の熾烈な販売競争を「HY戦争(えいちわいせんそう)」と呼んでいました。
当時、国内の2輪車販売台数は、1970年代頃からうなぎ登りに上昇し、1982年にピークとなる約327万台を記録(日本自動車工業会調べ)。シェアは1位がホンダ、2位をヤマハが占めていましたが、1979年にヤマハがトップシェア奪取を宣言。当時、大きな人気を博した50ccスクーターを中心に販売攻勢をかけ、ホンダから1位の座を奪う目標を掲げたのです。
当時、ヤマハでは「パッソル」「パッソーラ」「ベルーガ」など50ccの新型スクーターを市場投入。それに対し、ホンダは「タクト」や「リード」など様々なスクーターモデルで対抗し、いわゆるファミリーバイクの販売合戦が繰り広げられました。しかも、当時、これらスクーターは価格もリーズナブルで、新車価格が10万円台前半もざら。中には6万円台で購入できるものもあったほどです。50ccスクーターが今では考えられないほど安かった時代ですね。
その後、HY戦争は、250ccや400ccといった中型限定自動二輪免許で乗れるギア付きスポーツモデルの争いにまで発展。「VT250F対RZ250」「CBX400F対XJ400」といったライバル車による販売競争も勃発しました。
なお、HY戦争は、1980年や1981年をピークに、その後は徐々に沈静化していったといわれています。ですが、後々までその影響は続き、1980年代〜1990年前半に巻き起こったレプリカバイク・ブームでも、「NSR250R対TZR250」など、ホンダ車とヤマハ車の人気モデル対決はしばらく続くことになります。
カタナ狩り(かたながり)
戦国時代などに農民や僧侶など、武士以外の身分から刀をはじめとする武具(武器)を取り立てた政策を「刀狩り」というのはご存じの通り。でも、バイク用語の「カタナ狩り(かたながり)」は、1982年に登場した「GSX750Sカタナ」の違法改造取締りを意味した造語でした。
1980年代に生まれたスズキの名車といえば、やはり「カタナ」が代表格。元祖は1981年にデビューした輸出仕様車の「GSX1100Sカタナ」で、「日本刀をイメージ」したというシャープで個性的なフォルムは、ハンス・ムートが率いるターゲット・デザインがデザインを担当。最高出力111PSを発揮する高性能な1074cc・空冷4気筒エンジンなどとのマッチングにより、世界的に大注目を浴びました。
その国内仕様1号車が、当時のメーカー自主規制により国内最大排気量だった750ccエンジンを搭載したGSX750Sカタナ。ところが、このモデル、最高出力を69PSに抑えたほか、当時の国内法規制に対応するため、ハンドルをかなりのアップタイプに変更。元祖カタナのGSX1100Sカタナが採用した低いセパレートハンドルとはあまりにもかけ離れたかっこ悪さのため、「耕耘機ハンドル」と揶揄(やゆ)されたりしました。
また、フロントスクリーンも、GSX1100Sカタナには装備されていたのですが、こちらも当時の法規対応でGSX750Sカタナには未装備。ところが、GSX1100Sカタナに憧れるファンは、GSX750Sカタナのスタイルなどに納得しなかった人も多数。そのため、750cc版ユーザーのなかには、ハンドルとスクリーンを1100cc用に交換して乗っていた人も多かったようです。
それに対し、当時の警察当局は、これらカスタムを違法改造とみなし、取締りを実施。捕まったユーザー間で「カタナ狩り」と呼ばれたことで、当時の隠れた流行語にまで発展したのです。
ともあれ、今では当たり前でも、昔は御法度だった装備も多かったことが分かるエピソードのひとつが「カタナ狩り」だといえますね。
ミツバチ族(みつばちぞく)
「ミツバチ族(みつばちぞく)」とは、1980年代のバイクブーム時に急増した、夏の北海道ツーリングを楽しむライダーたちを指す用語です。
夏の北海道は、今でも多くのライダーが憧れる夏の定番といえるツーリング先。その北海道が、いわゆる「ライダーの聖地」としての地位を確立したが1980年代で、当時は大学生などの若者はもちろん、会社を辞めて地元で働きながら北海道中をバイクで旅する猛者もいるなど、様々な北海道好きライダーが急増しました。
そして、そんなバイクライダーたちのことを指し、地元の人やマスコミなどが呼んでいたのがミツバチ族。由来はバイクのエンジン音。「ブーン、ブーン」といったバイクのエンジン音が、まるでミツバチのようだったことから。しかも、当時はかなり大群で北海道へ訪れたことで、ミツバチ族という名称で呼ばれるようになったようです。
中免(ちゅうめん)
「中免(ちゅうめん)」とは、400ccまでのバイクが運転できる免許のことで、当時の「中型限定自動二輪免許」。今でいう「普通自動二輪免許」と同じ意味です。
当時の免許制度は、以下のようになっていました。
・自動二輪免許:全ての排気量のバイクを運転できる免許(今の大型二輪免許)
・中型限定自動二輪免許:400ccまでのバイクを運転できる免許(今の普通二輪免許)
・小型限定自動二輪免許:125ccまでのバイクを運転できる免許(今の小型限定普通二輪免許)
・原付免許:50ccまでのバイクを運転できる免許(今も同じ)
特に、当時は、全ての排気量のバイクを運転できる自動二輪免許は、今の大型二輪免許のように自動車教習所では取得できませんでした。まずは、教習所などで比較的取得の簡単な小型限定や中型限定の自動二輪免許を取得。その後に、運転免許試験場でいわゆる一発試験を受けて合格し「限定解除」をしないと、401cc以上のバイクには乗れなかったのです。
そうした制度から、400ccまでの中型バイクを運転できる中型限定自動二輪免許や、その取得者のことを、大型バイクに乗れる限定解除の自動二輪免許やその取得者と区別して「中免」と呼んだのです。
当時は、限定解除の自動二輪免許は、かなり上級なスキルを持つライダーでないと取得が困難だったのも事実。そのため、そうした大型ライダーと中型バイクにしか乗れないライダーとの間にヒエラルキーも発生。中免ライダーは、ちょっと下に見られるような感じだったことも事実でしたね。
このように、今では使われなくなったバイク用語もたくさん生まれた昭和のバイクブーム期。それだけ多くのライダーがバイクにぞっこんだったことが分かりますね。
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