■今も謎が残る京急初のノンステップバス
ところで少々話が脱線するが、この京急のノンステップバスは当時の様々な新技術を試す試験車両という意味合いが強かったのだろうと推測されるが、その一つに液晶表示と思われる行き先表示装置が取り付けられていたことが挙げられる。
この表示装置については言及されている情報がどこにもなく、筆者の曖昧な記憶だけが頼りとなっているが、側面表示装置は途中の経由地などをスクロール表示できるようになっており、その名残で側面表示装置の窓が他車と比較して大きいのがこの車両の特徴となっていた。
今でこそLED表示が標準となっており、スクロール表示も当たり前となっているが、幕式が標準だった当時は、色々な情報が流れていくのを見て、大きな衝撃を受けたものだった。
残念ながら、すぐに幕へ交換されてしまったようで、筆者が見たのは最初に目撃したその1回きり、実は液晶なのか「他の何か」なのか、といった詳細も分からず、この「近未来の技術?」は40年近く謎のままとなっている。
■ワンステップバスを経てノンステップ化へ
話を戻すと、京急ではその後ノンステップバスの増備車が導入されることはなかった。
初代エアロスターベースの試作車は高価だったこともあり、この3事業者の他に成田空港のクルーバスなど、少量製造されたのみで終わったが、やがて低床化の気運が高まり公営事業者を中心にワンステップバスの導入が始まった。
京急バスでは「京急型ワンステップバス」と呼ばれる車両を日野と共同開発、後に新呉羽自工が三菱用のワンステップバスを生産している。
1997年には、三菱自工の2代目エアロスターや日産ディーゼル工業のUA系で、量産型ノンステップバスがラインナップされ、日本に本格的なノンステップバスの時代が到来することになる。
初代の試作車両は、販売台数を見れば決して成功したとは言えないかもしれないが、メーカーの努力による技術の蓄積や、高価にもかかわらず導入を決断した事業者のお陰で、今の技術が確立したと言えるかもしれない。
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