鉄道が廃線になると代替バスが走り始めるのが基本の流れ…とはいえ時代の変化に逆らえず代替バスすら役割を終える地域もある。そんな場所の公共交通事情はどうなっているのだろうか?
文・写真:中山修一
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■北海道の超ローカル線・国鉄湧網線
道東地方・オホーツク海に接した面積およそ152平方kmの汽水湖・サロマ湖の周辺に、かつて国鉄が鉄道路線を通していた。
「湧網(ゆうもう)線」と命名されたこの路線は、サロマ湖北西側の端から6kmほど離れた場所にある中湧別と、途中の佐呂間を経由して網走までの89.8kmの区間を結んでいた。
1日5本程度の列車が設定されていて、同時期に中湧別を通っていた名寄本線(1989年廃止)に直通する列車も上下1本ずつあった。中湧別〜網走間の通しの所要時間は2時間20分くらいだった。
サロマ湖沿いにもレールが敷かれ、全国的にも風光明媚な路線と言われていたが利用率は極めて低く、超赤字路線としてJRに継承されることなく1987年3月に全線が廃止された。
■代替バスでカバーしたものの……
鉄道が廃止になると、地元のバス事業者の一つである網走バスが代替バスの運行を担うようになった。鉄道と変わらず中湧別〜網走の間を結び、バス路線の名前も同じく「湧網線」であった。
その後23年ほどの間、鉄道に代わって代替バスが日々走り続けていた。ところが、利用者の低迷に歯止めがかからず、バスでも採算が合わないほど深刻な赤字に悩まされ、2010年10月にバスの湧網線まで廃止になってしまった。
2020年代に入った現在こそ、鉄道代替バスのあり方を問い、大鉈を振るう事例も珍しいものではなくなりつつあるが、2010年時点での代替バス廃止はかなり異例の出来事だった。
■公共交通機関では行けない地域に?
鉄道がなくなり、代替バスすら消えてしまった今、湧網線が通っていたエリアにはもう公共交通機関で行けないのだろうか。
代替バス廃止後、該当地域で町営バスの運行が始まり、言うなれば「代替バスの代替バス」が誕生する結果となった。町営バスに代わった時点で、鉄道との直接の関係はなくなっている。
鉄道のように端から端まで通しでバスで行くことは2023年時点では不可能だ。鉄道時代になぞらえて中湧別〜佐呂間〜網走の経路を辿ろうとした場合、中湧別から17km先の計呂地(けろち)の町まではバスが出ている。
しかしそこから約13km先の佐呂間の町まで接続しているバスは1本もない。5kmほど歩き隣町まで移動して、また別の町営バスに乗り換えれば佐呂間に出られなくもないが、キロ単位での徒歩の要素が加わった時点でエクストリームなバス旅が約束される。
鉄道時代の中継地点だった佐呂間まで乗り換えなしで向かうなら、JR石北本線が通る遠軽を起点にするのが最も簡単な手段。佐呂間町が、遠軽にある病院へのアクセスを目的にした路線バス「佐呂間町ふれあいバス遠軽線」を運行しているのだ。
このバスは地元住民だけでなく誰でも利用できる。遠軽共立病院〜佐呂間バスターミナル間を50分〜1時間15分程度で結び、運賃は1回500円。車両はマイクロバスで1日3本の便がある。
最も簡単な手段とは言っても利用するには条件が付く。毎日運行しているわけではなく、毎週月・水・金曜しかバスが出ていないため、足のほうを靴のサイズに合わせるかの如く訪問計画を立てておくのが大前提だ。