今や当たり前になった、高速道路を経由して長距離を走る高速バス。その先駆けとなった一つが、国鉄が運転を始めたハイウェイバスだった。
文・写真:中山修一
(1960年代の国鉄ハイウェイバス保存車の写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■名神から東名へ
日本で初めて高速バスと呼べる交通機関ができたのは、東海道新幹線の開業とほぼ同じ1964年10月のこと。
名神高速道路の開通に合わせ、高速道路を経由して従来よりも早く移動ができるバスを走らせれば、旺盛な需要が見込める期待から、民営のバス事業者と同時に、当時の国鉄も営業免許を取得した。
最初の高速バスは民営/国鉄ともに、名古屋〜京都・大阪を結ぶもので、国鉄では「名神高速線」の路線名が付けられていた。
その約5年後、1969年5月に東京〜名古屋間を繋ぐ、東名高速道路が全線開通すると、すぐに民営/国鉄の双方が高速バスの運行を開始、これが日本での本格的な長距離高速バスの先駆けとなった。
■最初から夜行があった!
「国鉄ハイウェイバス 東名高速線」の路線名でデビューした国鉄の長距離高速バスは、当初は東京〜名古屋と、東京〜京都または大阪を結ぶ、合わせて46往復で運行を始めた。
上記はすべて昼行便であったが、それに加えて夜行「ドリーム号」が3往復出ていたのも目を引く。高速バスは誕生した初めのうちから、夜も走る乗り物という発想があったわけだ。
東京〜名古屋間355.4kmの所要時間は、速達タイプで5時間40分ほど。1975年の時刻表に掲載されている時点で、同区間の運賃は1,900円。夜行便は運賃の他に指定料金300円が必要だった。
この当時、東海道新幹線の東京〜名古屋間の運賃+特急券が3,490円だったので、高速バスはかなり割安な運賃設定になっていたのが見て取れる。
■最高速度140km/hの専用車
1回の運転で300kmを超える距離を、80〜100km/h程度の高速を維持したまま走るバスというのは、東名ハイウェイバスができる以前には存在しなかった。
そのため、東名ハイウェイバスの開業にあたって、専用設計の特別な車両が作られることになった。先に運行していた名神高速バスのデータを参考に、高速走行と20万kmにも及ぶ耐久性が求められ、華々しく登場したのが「7型」と呼ばれる大型高速車だ。
全長12m、ホイールベース6.4mと、日本のバス車両では最大クラスと呼べるサイズを持ち、排気量17,000CCを超える、350馬力のディーゼルエンジンを搭載して最高速度140km/h、3%勾配で100km/h走行ができる性能だったそうだ。
定員は40席+乗務員最大2名。冷暖房と循環式トイレ、リクライニングシートを標準装備。全て固定窓になっており、前に10°傾斜したスピード感のある側窓が特徴の一つになっている。
また、乗務員が運転に専念できるよう、磁気テープを利用した運賃表示器や整理券発行器などの自動操作システムが搭載されていたと言われる。
東名高速道路の高速バスのうち、国鉄ハイウェイバスと同時に開業した、民営バス事業者による路線は1975年に運転をやめてしまったが、国鉄のバスはその後も営業を続け、今日のJR東海バスが運行している東名ハイウェイバスへと通じる。