かつて東京23区にも路面電車の路線が張り巡らされていたが、時代の変化からバスに移り変わっていった。現在の都営バス都07系統は当時の都電38系統をほぼトレースする形で運行をしているおり、いまもその面影は数多く残っているのだ。江東区では緑道公園として軌道跡を多く残しているため、残る都電の軌道跡を都営バスで巡ってみた。
文/写真:小野寺利右
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
都電はモータリゼーションで邪魔者扱いに
かつて昭和30〜40年代には東京23区内は都電(路面電車)の路線網が張り巡らされていた。やがてモータリゼーションの波による渋滞が著しく、「路面電車は邪魔」という社会認識によりバス転換がはかられ、現在では荒川線を残して全廃された。
現在ではその面影はほとんど残っていないが、江東区では緑道公園として軌道跡を比較的多く残している。江東区の亀戸、大島そして南砂に残る都電の軌道跡を散策した。
都電38系統は都07系統に!
この軌道跡は古くは城東電気軌道に始まり市電から都電38系統として錦糸堀車庫から門前仲町路線を結んでいたが、1972年にバスに転換された。この年が撤去の最終段階でこの地域では最後まで残っていた路線の一つだ。バス転換当時は錦14系統として葛西営業所(現江戸川営業所)が担当していた。
その後に都市新バスの系統に選定され現在でも多くの便がある「都07」系統になった。都07系統は、ほぼ都電系統をトレースする形で走っている。以前に乗りバス記事で紹介した都07系統だが、乗っていて専用軌道跡から併用軌道に合流する場所は今でも分かる。その専用軌道跡を北から順に紹介する。
都電専用橋や残された線路
まずは亀戸地区の緑道公園だ。現在は京葉道路の水神森交差点になっていて、この付近から専用軌道がスタートする。途中に首都高速下の竪川を渡る。当時は都電専用橋で、廃止後に人道橋に改修された。付近には線路跡を模したモニュメントがある。
この竪川を渡ると大島に入り大島緑道公園となる。少し南に歩くと細い十字路があり、この付近に停留場があったようだ。現在は遺構を含めて面影は見当たらなかった。そこから南に進み新大橋通りを過ぎ、軌道跡は右に緩やかにカーブする。この辺りにも電停あったようだが痕跡は見つけられなかった。
そのまま進むと現在の「大島一丁目」停留所がある明治通りに合流する。ここから暫くは明治通りを南に進み(専用軌道ではなく併用軌道だった)「南砂三丁目」停留所で右に折れ、ここからまた専用軌道になる。
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