1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン


後を引き受けてくれませんか

 だが、そんな土方さんにも、運転をあきらめざるを得なくなる日がやってくる。ヘビースモーカーだった土方さんは、私と会う前から肺気腫を患っていて、急いで歩いたり階段を昇ったりすると息切れがしていた。その症状が日毎に、目に見えて悪化していったのだ。やがて酸素吸入が欠かせない状態になったが、それでも、

「こうやって酸素マスクをつけていると、零戦の高高度飛行みたいで懐かしい」

 と強がりを言いながら、酸素吸入の合間に煙草をふかしていた。

 2010年5月、東京・原宿の水交会(旧海軍、海上自衛隊関係者の親睦施設)で、NPO法人「零戦の会」が主催した「土方敏夫さんを囲む会」で、「零戦vs.グラマンF6F」と題し、35名の聴衆を前に講演をしたのが、土方さんが公の場に出た最後になった。

 その年、ついに車の運転にドクターストップがかかる。88歳になった土方さんは私に、

「無理にとは言わないけど、せっかくここまで20年、大事に乗ってきたから、廃車にするのはしのびない。後を引き受けてくれませんか」

 と言った。私はこのとき、同じ1990年式のいすゞピアッツァ ハンドリング・バイ・ロータスに乗っていて、こちらにも愛着があったが、土方さんの愛車を引き継ぐとなれば異存はなく、ピアッツァを廃車にして、土方さんのスカイラインを迎え入れることにした。

1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン
土方さんから引き継いだのちのR32スカイライン

 妻・兼子さんによると、土方さんはクルマへの思いが断ちがたく、私が受け取りにくる前の日はずっと運転席に座り、エンジンを空吹かししたりして別れを惜しんでいたという。

 名義変更にあたって、土方さんが購入した日産プリンス浜田山店で点検整備を行った。ディーラーの整備士・高橋和愛さんは土方さんのファンで、

「そういうことなら、うちで最後まで面倒を見させてください。現存のR32のなかでいちばん調子よく保ちますから」

 と言ってくれた。

 土方さんの容態は、日毎に悪化していった。自宅の階段も昇れなくなり、エレベーターを設置した。2011年夏、自宅を訪ねたときには、もはやかつての精気は失われているようだった。そしてそれが、私が土方さんと会った最後の機会になった。

 2012年11月28日、死去。享年90。法名は覚寿院翔誉敏教居士。

 高円寺の斎場で営まれた通夜、告別式に、私は土方さんのかつての愛車・R32スカイラインに乗って参列した。両日とも、式場に人が入りきれないほどの盛会だった。

 告別式では、海軍時代の同期生・蒲生忠敏さんが、

「悔いなき人生、大往生が羨ましい。俺も近々行くから、同期を集めて迎えてくれ」

 と弔辞を読んだ。棺の蓋を閉めるとき、小柄な兼子さんが、背伸びをするように土方さんに口づけをした。

R32の物語は続く

 ――不思議な縁で、土方さんが20年乗ったR32スカイラインが私のもとへきて11年。今年3月、15回めの車検を迎えた。土方さんの頃からこのクルマの整備を担当してきた高橋さんは、荻窪店の工場長を数年間務めたのち、2020年から浜田山店の店長になっている。車検整備の受け渡しのとき、高橋さんと、土方さんの思い出をしみじみと語り合った。

1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン
2021年3月、15回めの車検整備を終えたR32スカイライン。土方さんが購入し、新車当時から整備をしている日産プリンス浜田山店にて

 旧いクルマだから、維持するにはそれなりに手間もコストもかかる。30年以上前のツインカムターボエンジンは、昨今のエコカーと比べると燃費もきわめて悪い。けれども、私はまだまだ、このスカイラインを諦める気にはなれない。

 ステアリングを握るたびに土方さんや、土方さんにまつわる多くの人々の思い出が甦るし、ディーラーに行けばこの車を我が子のように見てくれる人がいる。そんな「物語」を大事にしていきたいと思うからだ。

神立尚紀 Naoki Koudachi

1963年、大阪府生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒業。1986年より講談社「FRIDAY」専属カメラマンを務め、主に事件、政治、経済、スポーツ等の取材に従事する。1997年からフリーランスに。1995年、日本の大空を零戦が飛ぶというイベントの取材をきっかけに、零戦搭乗員150人以上、家族等関係者500人以上の貴重な証言を記録している。著書に『証言 零戦 生存率二割の戦場を生き抜いた男たち』『証言 零戦 大空で戦った最後のサムライたち』『証言 零戦 真珠湾攻撃、激戦地ラバウル、そして特攻の真実』(いずれも講談社+α文庫)、『祖父たちの零戦』(講談社文庫)、『零戦 最後の証言彜Ⅰ/Ⅱ』『撮るライカⅠ/Ⅱ』『零戦隊長 ニ〇四空飛行隊長宮野善治郎の生涯』(いずれも潮書房光人新社)、『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』(文春文庫)などがある。NPO法人「零戦の会」会長

画像ギャラリー……零戦パイロットが愛した「スカイラインR32」