1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン

空戦は命をふり絞っての殴り合い

元零戦搭乗員・土方さんの戦いを、拙著『祖父たちの零戦』(講談社文庫)より引用する。

〈朝鮮の元山基地から笠之原基地に派遣された元山空零戦隊も、(昭和20年)4月14日、予備学生十三期出身の土方敏夫中尉以下13名が、乗ってきた零戦ともども二〇三空戦闘三〇三飛行隊に編入された。

1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン
昭和20年4月、沖縄戦が始まり、元山基地から九州・笠之原基地への進出が命じられる。整列する搭乗員の向かって左端が土方中尉

 土方中尉の回想によると、このときの零戦は五二型丙で、座席の後ろに防弾板がつき、左右の主翼の20ミリ機銃の外側に1挺ずつ、機首の右側に1挺と、あわせて3挺の13ミリ機銃が装備されていた。

 だが、これでは機体が重くなりすぎて機動が鈍重になり、敵戦闘機との空戦には向かないということで、防弾板と主翼の13ミリ機銃2挺をおろし、20ミリ機銃2挺と13ミリ機銃1挺という、五二型乙と同じ仕様に変更して戦闘に臨んだ。

 機首の13ミリ機銃は、全長が長いので操縦席の搭乗員の右の胸元近くにまで突き出ているが、弾道直進性がよくそれなりに威力もあり、空戦では非常に使いやすいものであった。ただ、20ミリ機銃と13ミリ機銃では弾道が異なり、この両方の弾丸を同時に敵機に命中させるのは至難のわざである。

 土方はこの零戦で、4月22日、沖縄上空でグラマンF6F一機を撃墜している。だが幾度も重ねた空戦では、敵機の数が多すぎて、追われて逃げることも多かった。

1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン
零戦の操縦席に座る土方敏夫さん。土方さんは零戦搭乗員として、大戦末期の沖縄、九州上空で戦った

 敵機の主翼前縁いっぱいに12.7ミリ機銃6挺の閃光が走ったかと思うと、翼の下に機銃弾の薬莢が、まるですだれのようにザーッと落ちるのが見える。同口径の機銃を6挺も備えたF6Fの射撃の威力は、まさに「弾幕」と呼べるほどすさまじかった。

 体をひねり、首をいっぱいに回して後ろを見ながら、敵機の機銃が火を噴くと同時にフットバーを思い切り蹴とばし、フットバーとは逆方向に操縦桿を倒し、機体を滑らせて敵弾をかわす。

 横すべりのGで、体が操縦席の片側に叩きつけられるが、そうやって回避しないと命がない。一瞬でも水平飛行をしようものならたちどころに敵機の標的にされるから、空戦中はつねにスローロールの連続である。

 沖縄方面への制空戦でも、敵機を九州上空に迎えての邀撃戦でも、いつも無我夢中で、持てる力を出し切っての空戦であった。空戦は、互いが命をふり絞っての殴り合いの喧嘩だと、土方は悟った。

1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン
昭和20年5月頃。鹿児島基地の戦闘第三〇三飛行隊指揮所の土方中尉

 この頃の零戦には、主翼内燃料タンクの自動消火装置が装備されている。炎を感知すると液化炭酸ガスを燃料タンク内に噴出して消火するもので、作動するのは一度きりだが、空戦で被弾した零戦が、機体の塗料が焼け、真白になった状態で帰ってくることもあった。それはまさに、燃え尽き灰になるまで戦い抜いたかのような姿だった。〉

零戦のエンジン技術者たちが作った名車

 戦闘機乗りだった土方さんは、飛行機や自動車といった「エンジンのある乗り物」と、カメラ、オーディオが大好きで、80歳まで軽飛行機の操縦桿を握っていたし、車も、昭和30年代初めの日野ルノーに始まって、さまざまな車を乗り継いできたという。

『ベストカー』や『カーグラフィック』『NAVI』などの自動車雑誌も欠かさず読んでいた。成蹊学園を定年退職した1985年には、当時の若者の憧れだったホンダ・プレリュード、しかもDOHCエンジンを搭載した最上級グレードのSiを購入している。

「プレリュードもいいクルマだったけど、私はFR車のほうが馴染んでいて、ハイパワーでもFFというのがちょっと不満だった。

 そこへ、スカイラインが7代目から8代目へモデルチェンジ(1989年)して、コンパクトなスポーツセダンとして甦ったという。自動車雑誌や『間違いだらけのクルマ選び』(徳大寺有恒著・草思社)を読んでも絶賛されている。それで、どうしても乗ってみたくなって買い替えたんです。

 スカイラインといえば元はプリンス自動車で、プリンス自動車のエンジニアたちは零戦の『栄』エンジンを造っていた中島飛行機の技術者でしたから、そんなノスタルジーもありましたね」

 と、土方さん。「超感覚スカイライン」と呼ばれた8代目R32スカイラインは、ラグジュアリー寄りになった7代目をサイズダウンして、そこに強力なエンジンと足回りを載せたモデルだった。

 選んだのは、センセーショナルな話題になった4WDのGT-Rではなく、215馬力の2L直6ツインカムターボエンジン・RB20DETを積んだ2WD (FR)の最上級車種、4ドアスポーツセダン(ピラードハードトップ)のGTS-t TypeMだった。

富士山をバックに
富士山をバックに

 これは、「見た目はふつうの4ドアセダンで、走らせたら速いっていうのがカッコいい」という、土方さん流のこだわりである。

 当時のカタログによると、GTS-t TypeMには、16インチアルミホイール、本革巻スポーツステアリング、4輪操舵のスーパーハイキャスをはじめ、走りのためのありとあらゆる機能が標準装備されているが、土方さんはさらに、オプションの4WAS(4輪アクティブステア)やGTオートスポイラー(速度感応式のフロントスポイラー)までつけている。

 全長4580ミリ、全幅1695ミリ、全高1340ミリ、5ナンバーのコンパクトな4ドアボディにハイパワーエンジンという、まさにスカイライン本来の姿ともいえるグレードだった。

1台の車に宿った人生の物語――元零戦搭乗員・土方大尉が愛した名車スカイライン
スカイラインのアイデンティティ、丸いテールランプ

 5速マニュアルではなく、4速ATを選んだのは、当時68歳という土方さんの年齢によるものだ。車両本体価格は、243.7万円だが、エアコンやオーディオもふくめたオプションを合わせると、300万円はゆうに超えたはずである。

 土方さんの妻・兼子さんは、

「よく夫婦でドライブしたり、釣り、ゴルフなどに出かけたりするんですが、主人は目的地にも、きれいな風景にも興味がないみたいで、エンジンの音ばかり気にしてるんです。運転そのものが好きだったんですね」

 と回想する。土方さんは、運転するときには必ずドライビンググラブをつけていたという。

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1992年、土方さん夫妻とR32スカイライン。土方さんはこのとき70歳

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