ホンダF1第四期の当初はMGU-HとMGU-Kの開発に手間取り、特にMGU-Hとターボ・コンプレッサーユニットが問題だった。これによりホンダPUは予想通りのパフォーマンスを発揮することができず、さらには壊れまくっていたのだ。そしてマクラーレンからトロロッソへ変わり、ホンダの方向性も大きく変わった。そこから3年後にチャンピオンになるホンダのF1の軌跡とそのキーとなったホンダジェットの技術を元F1メカニックの津川哲夫氏に解説していただいた。
文/津川哲夫、写真/Red Bull Content Pool
甘くはなかったF1ハイブリット時代。ホンダF1は3年間もがくことになる
前世紀の1964年から始まったホンダによるF1への挑戦は、その全4期に渡ってそれぞれ違った形でのアプローチで行われてきた。もちろんすべてが順風満帆というわけには行かず、コンペティション故に多くの波風にもまれながら、昨年末ついに第四期の終了に至った。
第四期はマクラーレンとの共闘に始まったが、このパートナーシップはお世辞にも良好とはいえず、技術的にも結果的にも満足の行くものではなかった。開発も遅々として進まず、マクラーレンとの3年間はパフォーマンス以前に信頼性の確立に苦慮することになってしまった。
ホンダは第一期そして第二期にはその技術の優秀性、前衛性を誇示しF1界に旋風を巻き起こしてきたが、第三期そして第四期の近代F1での開発方向は一般的なコンペティション・ユニットへと落ち着き、若干ホンダらしさが影を潜めて行った。
特にホンダF1第四期はハイブリッド時代へと進化しており、ホンダ撤退中の5年間には既にKERS時代に入っていて、第四期にはこの部分のブランクが大きく響いた。さらに開発の凍結規則も制定されていて、MGU-HとMGU-Kの開発に手こずった。特にMGU-Hとターボ・コンプレッサーユニットが多くの問題を引き起こしていたのだ。
また理想のサイズゼロ・コンセプトも、無理なコンパクト化により補機類に熱害等の問題を生じさせ、ターボユニットの能力不足と信頼性の問題を抱えた。これはマクラーレンとの3年間ずっと持ち歩いた持病の様になってしまった。
これらはサクラのF1PU開発部門が専属的に開発を行っていたが、KARSシステムのバッテリー等の電装関係はマクラーレン側の物を使うなど、開発に一貫性を構築出来なかったことも、マクラーレン・ホンダ時代の反省点でもあるはずだ。
結果的にマクラーレン用のホンダPUは最後まで信頼性への不安が大きく、パフォーマンス開発までにはなかなか行き着く事が出来ないまま、マクラーレンとの契約解消へと至ってしまった。
マクラーレンとの4年間(3シーズン)の問題点は、最後までホンダが開発の主導権を握れず、車体との密なコラボレーションが取れなかったことが大きく影響していたようだ。
そして、マクラーレンとの契約解消で次なるチームとしてトロロッソ(現アルファタウリ)が決まった。これはトロロッソの裏にレッドブルを見据えての契約である事はいうまでもない。
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