韓国最大の起業家 現代グループ創始者自伝『この地に生まれて』新刊発売


 貧しい農家に生まれ、17歳にして裸一貫で起業し、のちに「現代(ヒュンダイ)」を韓国最大の財閥にまで成長させた鄭周永(チョン・ジュヨン、1915~ 2001年)。その波乱万丈の軌跡を記した自伝が2021年4月、増補改訂をへて刊行された。以下、紹介したい。

文/ベストカーWeb編集部

■何が必要で何が大切かを見抜く力と、突き進む力

「世界経済の環境は急変している。世界化・国際化が進んでおり、世界に一つの経済共同体を構築するための、WTO(世界貿易機関)体制も発足した。しかし一方で、NAFTA(北米自由貿易協定)の発足、EU(ヨーロッパ連合)の登場などによって、地域主義が同時に進んでいる。このように急変する社会のなかで、アジアだけが地域的結束を固めることなく、さまよっているように思えて仕方がない。

 APEC(アジア太平洋経済協力)のような機構が十分な役割を果たしていない状況で、「二十一世紀がアジアの時代」になるためには日本の役割が重要であろう。しかし、東アジア、ひいてはアジア全体の経済的活力を維持、発展させる重荷を日本だけに負わせることは不可能であり、たとえ可能であってもそうしてはならない。韓国はアジアの中で、先進国と途上国の間の架け橋の役割を果たせる唯一の国である。地理的、経済的に密接な関係にある韓国と日本がお互いに助け合い、「アジア圏」設立の中心に立つべきだと思う。ここに中国まで加われば、さらに活力が増すだろう。」

 上記は本書における「日本版序文」での一文であり、著者・鄭周永氏が本書執筆時(朝鮮語版が1998年3月、日本語版が2000年1月に発行)に書かれたもの。20年後のいま読んでもまったく古びていない賢察に驚く。

 本書は1915年、貧しい農家の長男として生まれ、最終学歴「小学校卒」である鄭周永氏が(当時、小学校の教員になることを夢見ていた少年が貧しさに耐えかね)四度目の家出をへてソウル(当時は京城)で自動車修理工場を立ち上げ、それからも何度も挫折を味わい、そのたびに立ち上がってついに韓国最大の財閥「現代」グループに成長する軌跡を描いている。

 クルマ好きにとっては、現在世界第5位にまで成長した「現代自動車グループ」の創成期に、フォードと事業提携を結んで失敗し、三菱自動車との提携に活路を見出したところ、そして国産化に強いこだわりを持ち、自国の技術者と労働者に深い信頼を持っていた著者の記述には、おおいに首肯するだろう。

『この地に生まれて わが故郷、わが祖国』鄭周永著、金容権訳

 見所、読みどころはたくさんあるが、本記事担当者が特に注目したのは鄭周永氏のバイタリティと丁寧な計算。

 著者はソウルに出てきてすぐ、ある米屋に住み込みで働き始める。誰よりも早く起きて店の前を掃き清めて、水を撒いてから働き始めたそうだ。さらに米と雑穀が混ざって積まれていた倉庫を見て、それぞれ種類別に仕分けて一目で在庫状況が把握できるよう整理し、店の帳簿を元帳と顧客別帳簿に分けて揃えている。

 また自動車修理工場を始めた際も、周辺工場が「クルマを預かって10日間」で修理していたところ、「職業としてクルマを使っている人にとっては修理時間の短縮こそ高価値」と見抜いて、相場より高い代金を請求するかわりに3日で修理するプランを用意して顧客を集めている。

 さらに建設業を始めて(朝鮮戦争後の)復興工事を請け負いだしてからは、「まず(工事のための)機材不足の解決を一番の目標とした」という。「『詩経』にも「不敢暴虎、不敢馮河」というくだりがある。つまり、「素手では虎を捕まえられないし、歩いては河を渡れない」という意味だ。」と解説する。

 どんな事業でも、まず「何が必要で、何が要所か」を見抜く。それから猛烈に突き進む。

 鄭周永氏の足跡を読むと、もちろん周囲の人々との付き合い方(コミュニケーション)の巧みさ、運という要素も大きい。そのいっぽうで、「その場に何が必要かを見抜く洞察」と、「やると決めた事業をやり抜く実行力」がどちらも根強くあったことがわかるのである。これは令和の現在、成功した起業家の多くが兼ね備えている素養であろう。

 今回、新刊となって発売された本書は、初めての刊行から20年を経ている。当時とは日韓関係や国際情勢を含む社会環境も、景気や経済状況も、人々の意識そのものも大きく変わった。それでもなお、偉業をなした経済人の足跡と回顧は、令和のビジネスマンに新しい知見をもたらしてくれるだろう。