■現在の評価は10年後にはどうなっている?
166は、着心地は決して良好とは言えないものの、見た目は最高にクールな一着の服のようなものだ。
実用性や快適性といった客観的な物差しでは測れない、独特の魅力を持つクルマなのである。時を経るごとに、そのカリスマ性は増しているようにも感じられる。
「不完全さ」こそが、166の魅力を形作る重要な要素となっているのではないだろうか。
完璧を求めすぎないイタリア的な寛容さが、このクルマには詰まっている。
そして、その不完全さを受け入れられる者だけが、真の166オーナーとしての資格を得られるのかもしれない。
そこには、数値やスペックでは語れない、クルマという道具を超えた芸術品としての価値が確かに存在している。
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