日産とホンダの統合検討が発表され、世間をざわつかせている。振り返ると、日産はこれまで何度も統合繰り返し、再建しては再び立て直しといった流れの連続である。今一度、日産が辿ってきた歴史を振り返っていこう!!
文:片岡英明/写真:日産、ベストカーWeb編集部
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ベストカーWebをご覧の皆さま、こんにちは! 冬至のゆず湯をすっぽかした編集部告知担当です。ついに…
コメント
コメントの使い方日産自動車の出来たのは、快進社よりダットサン製造権を譲り受けた。快進社に資本を出していた鉱山王と呼ばれた久原房之介が、義弟の鮎川儀介に話を持ち込んだのが始まり。
日産は元々他社と違って、独自開発車両から起業した会社ではない。本文にもあるように、愛知機械工業、そして日本初の4駆くろがね4駆を開発した内燃機関工業(合併当時は東急くろがね)をも傘下に収め、現在の日産工機とした。。日産は戦後ノックダウンで英国オースチン社のオースチンA50 ケンブリッジを製造販売等、自社開発の弱い企業である
記事内容に一部不正確な部分があります。まずプリンス自動車との合併ですが、これは当時の通産省が当初トヨタに合併を打診しましたが、プリンスの負債額が大きく、また競合車種ばかりであり、メリット無いと判断したトヨタは、共倒れになりかねないと断った。その後日産にこの話を持ち掛け川又 克二社長が数字上でトヨタを追い越せると判断。合併した。