■全日本自動車ショーで配られた幻のカタログ
天地×左右が20cmほどの小冊子がある。表紙はぶれた赤いS360の写真で、ヘルメットを被ったテストドライバーらしき男性と頭からネッカチーフを巻いた女性が乗っている。
この8ページの刷り物こそが1962年10月に行われた第9回 全日本自動車ショーで配られたS360、S500、T360のカタログだ。小林彰太郎氏が所有されているもので、中の6ページはいわゆる黒と赤の2色刷りで3台に2ページずつ割り与えられ、スペックも掲載されている。
S360の紹介ページには、1959年世界GP(2輪)に初参加したホンダは1961年に125、250、350ccを制覇し、技術力をアピールできた。次はミニカー(軽自動車)の概念を破ったS360、S500、T360を世に問うと4輪への進出を宣言している。


■助手席でも充分わかるS360の楽しさ このコンセプトは今こそ輝く!!
ホンダツインカム倶楽部のイベントで川本信彦元社長が、この完成したS360のステアリングを握って走り出すと、多くのS500~800オーナーが拍手で出迎えた。
いかにも仕上がったばかりの軽やかなサウンドで走る。その昔、ベストカー編集部の新人がS600クーペを持っていて、ホンダS600は何度か運転したことがあるが、こんな軽い音ではなかった。
けっこう勇ましく、回転を上げると助手席に座るパッセンジャーとの会話もできないくらい騒々しかった思い出がある。なにしろ高速道路ともなると、80~100km/hで6000回転を突破。普通のクルマでいえば常に全開で走っているような状況だった。
ステアリングセンターキャップには写真をベースに新たに作ったものだというが、デモ走行を行った川本元社長も手元に残っていたフダバ産製のウッドステアリングを提供したのだという。その川本さんは狭いコースながらちょっとアクセルを踏み込むと、さすがにホンダらしい元気のいいサウンドが秋の空に響きわたった。
川本元社長は元々設計屋だ。Sに関して聞けば、入社後市販されたS500から600に切り替わったエンジンを担当したという。S360はT360のAK250を改造したエンジンを45度傾斜させて搭載。そのために新たにオイルパンを設計したというが、わすか356cc、33psのエンジンは、組み立て精度が飛躍的に向上している現在の技術で作り上げると、当時以上の性能が出ることは当然ありえる。
川本元社長の満面の笑みからもその走りっぷりが爽快だったことは想像できるが、S500からS800前期の、いわゆるチューン駆動にいたった経緯を伺うと、本田宗一郎氏がいかにユーザーのことを意識していたかがわかる。実用性を考え、スペアタイヤの収納とガソリンタンク位置を確保するための策だったというが、それを成立させるための技術力と発想力がホンダの強みというべきだろう。
イベントがひと段落した後、ドライビングさせてほしいと、このS360を仕上げた小林康人LPLにお願いしたところ、東京モーターショーに出展するため今回は助手席で、ということになり、このS360の走りを体験させてもらった。
オリジナルと同じステアリング左下にあるスターターボタンを押すと、エンジンは驚くほど簡単に始動する。4連のCVキャブが装着されていたが、研究者の間ではSUキャブや三国ソレックスなどもあったといわれている。吹き上がりは本当に軽いようで、軽量なボディ(オリジナルは510kg)をストレスなく走らせる。
すぐに3000rpmまで上がるが、今回はそこまで。テストでは平気で9000rpmまで回り、実際に100km/h以上出るというが、そうなると、金属的なギュンギュン回る音になるのだろう。
偶然、現在も市販されていたグッドリッチのホワイトリボンタイヤはバイアスの2プライで、乗り心地がソフトだったのが印象的だ。ホイールは新作で重くなったというが、ドタドタ感はなかった。
ドライバーズシートに座りクラッチペダル、ブレーキペダルを踏ませてもらったところ、これが軽い。これなら乗用車感覚でドライブできそうだ。手元にあるシフトスのトークも短く、小気味のいい走りができるハズで、思わず顔がほころんだ。
エンジンを含めたこのサイズ感、スポーツカーらしいタイト感。これは51年前のコンセプトというより、今でこそ必要なスポーツカーコンセプトではないかと思いながら、シートをはなれた。
【画像ギャラリー】S500に乗る本田宗一郎氏の姿も。写真で見る“新型”S360の秘密(21枚)画像ギャラリー


























コメント
コメントの使い方