ロータスといえばイギリスが誇るスポーツカーの名門。その歴史は「後輪駆動ひとすじ」というイメージがあるが、唯一の例外がある。それがエラン。マツダ・ロードスターの元祖とも言われるライトウェイトスポーツには、なんと前輪駆動があったって知ってた??
文:ベストカーWeb編集部/写真:ロータス
初代は世界に衝撃を与えたライトウェイトスポーツ!
ロータス・エランといえば泣く子も黙るライトウェイトスポーツカーの傑作。1962年に登場した初代は世界中のクルマ好きに衝撃を与え、その人馬一体感はマツダ・ロードスターのお手本にもなった。
そんな神話を作った初代エランだが、排ガス規制やオイルショックの余波を受けて1973年に生産を終えた(2+2は75年)。ロータスは後継モデルを作ろうとさまざまなモデルを検討するのだが、少量生産のバックヤードビルダーにはコスト面が大きな壁となり、開発は難航する。
そうこうするうちに、ロータスは米GMの傘下に入る。1986年のことだ。これによってロータスは資金的にはいくぶんの安定を得たが、代わりに主要コンポーネンツをGMあるいはその提携先から選ぶよう「縛り」を受ける。
主要コンポーネンツで重要なのはエンジンとトランスミッションなわけだが、ロータスはさまざまな検討を行い、当時GM傘下にあったいすゞのジェミニ用1.6Lツインカム4XE1型エンジン+横置きミッションという組み合わせをチョイスする(三菱ミラージュのサイボーグエンジンも候補になったようだ)。
このユニットをどうするか。ロータスはトヨタMR2やフィアットX1/9のような横置きミッドシップも検討したようだが、結局別の道を選んだ。基本骨格こそ初代エランと同じスチール製バックボーンフレームだが、エンジンをそのフロントに横置きする前輪駆動としたのである。これが1989年にデビューした2代目エランだ。
【画像ギャラリー】ある意味シビック・タイプRの祖先ともいえるエランのお姿がこちら!(9枚)画像ギャラリーFF化にはロータス独自の哲学があった!
ここまで読むと、ロータスは横置きエンジンしか使えず、2代目エランをしかたなくFFを選択したようにも思える。
しかしそこには独自の哲学もあったようだ。雨、雪、乾燥路、サーキット、山道……ロータスはさまざまなステージでクルマを走らせてみた。その時、もっとも安定して速かったのは、後輪駆動ではなく前輪駆動だったというのだ。
ウィキペディアには、ロータスエンジニアの以下のような発言が記されている。「サーキットやフリーウェイではなく、地図上のA地点からB地点まで最短距離で移動する場合は、(2代目エランは)エスプリよりも速く、恐らくロータス史上最速のクルマだろう」。
実際、2代目エランは、FFだろうとナメてかかるドライバーが襟を正すようなハンドリングを持っていた。一見ソフトに思える足回りは恐ろしいほどタイヤを接地さえ、限界が驚異的に高かった。アンダーステアも最小限で「LSDも持たないクルマでよくぞここまで」というハンドリングだったのだ。
のちにインプレッサのWRカーのデザインも手掛けたピーター・スティーブンスによるエクステリアデザインもいかしていた。
ボンネットフードを極限まで低くしたノーズは、知らなければミッドシップと思えるほどで、4灯式リトラクタブルライトとともにスポーツカーの雰囲気を充満させていたのだ。ちなみにテールランプはアルピーヌ、スイッチ類はオペル/ボクスホールの流用だったという。
しっかりした哲学と優れたたたずまいをもって生まれた2代目エランだったが、それでも世間の「スポーツカーは後輪駆動」という固定概念を覆すことはかなわなかった。コストダウンに励んだにも関わらず、1.6Lとしては高めになった価格(日本では700万円!)も災いしたはずだ。
結局2代目エランは、誕生からわずか3年しか経っていない1992年に、4000台弱を作っただけで生涯を終えてしまった。その後エランの生産設備はブガッティを経て韓国の起亜自動車に買い取られ、キア・ビガートという名前で再生産された(キア製エンジンを搭載)。
黒歴史などとはめっそうもない。2代目エランは、スポーツカーの世界に名を残す、ロータスファミリーの立派な一員なのである。
【画像ギャラリー】ある意味シビック・タイプRの祖先ともいえるエランのお姿がこちら!(9枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方これは乗らない人には判らない
凄かった
FFの答えを流石ロータス出してきた
この上行きそうなのはFTO位
乗って楽しいし所有良く満たしてくれた
良い車だったな
もはや私の考えは老害とも言えるのだろうが、やはりロータスにFFは許容しがたいものだった。それが移動手段として最速としても、だ。