ルールが変更され、さらに魅力が満載になった全日本スーパーフォーミュラ選手権。様々なトラブルはあったものの、非常に実りのある幕開けであったと思う。開幕戦における最大のニュースとはいったい?
文/画像:段純恵
【画像ギャラリー】世界を舞台にする以上、格式のある大会にしなければならない(2枚)画像ギャラリールール変更も……なかなか適応できず
全日本スーパーフォーミュラ選手権は話題満載で今シーズンの幕を開けた。そのひとつが鈴鹿、もてぎ、富士の大会が土・日2レース制となり、かつ日曜のレース距離が延びたのに加え、タイヤ交換の時期も自由になったことだ。
各チーム、各車の戦略に幅が広がることで全体の流れにも影響し、レース展開が面白くなる期待大! といったところだが、今大会に関しては、改定にまだ不慣れだったためか、それとも悪天候に見舞われたオフテストでロクに走れなかったためか、この改変に適応し結果につなげたドライバーやチームはほぼなかった。
2レースとも何度もセーフティカーが入る展開で、チーム・ダンディライアンの2台、太田格之進と牧野任祐が1勝ずつ分け合ったのが興味深い。特に昨季最終戦から決勝で頭一つ飛び抜けた速さを発揮している太田を見ると、伸び代のある若者に海外を経験させた意義の大きさをありありと感じされられた。
そんなレースに直接関係する話もさりながら、開幕戦における最大のニュースは三笠宮家の瑶子女王殿下が本年度SFのシリーズ名誉総裁にご就任遊ばされたことだ。昨年第4戦富士で『第一回瑶子女王杯』を賜ったSFだが、プロ・スポーツとしてそこからさらに一段、格が上がったと言って差し支えない。
【画像ギャラリー】世界を舞台にする以上、格式のある大会にしなければならない(2枚)画像ギャラリー皇族とモータースポーツの関わり
日本の皇族とモータースポーツの関わりといえば、昨春のF1日本GPに瑶子女王殿下の御姉宮・彬子女王殿下が特別来賓としてご臨席遊ばされているが、それ以前となると両女王殿下の大叔父にあたられる故高松宮宣仁親王殿下が1960年代に富士スピードウェイで開催された日本グランプリの名誉総裁を務められたことまで遡るだろうか。
約35年この業界にいる筆者だが、サーキットでお目もじした日本の皇族は瑶子女王殿下が初めてというのはいかにも少なく感じられる。
というのもF1はじめヨーロッパのレースでは王族の方々が観戦に訪れるのを当たり前に目にするし、お迎えの列に並んでカーテシーのご挨拶をしたこともあれば、記者数名でいわゆるカコミ・インタビューに参加したこともあるからだ。
その一人、スペイン国王ファン・カルロス1世(当時)の再従兄弟であるアルフォンソ・ドルレアン・ボルボン殿下の時は、殿下がレースに参戦するようになった経緯をひとくさり話された後に、国王陛下が殿下のレース参戦をどのようにお考えなのかを伺った。
すると殿下は、一族にはモータースポーツ好きが多く、母君がラリーストだったことや同じレースで競っているレオポルト・プリンツ・フォン・バイエルン(欧州屈指の古い家柄であるヴィッテルスバッハ王家の末裔でBMWの主要株主)選手も従兄弟の一人だよと笑顔でお答えくださった。
そういえばいまWECで活躍しているフェルディナンド・ハプスブルグ-ロートリンゲン選手も、世が世なら双頭の鷲の冠を戴いていたかもしれない嫡流の皇子である。
ヨーロッパでは統治する国や領土の有無に関わらず、その家柄や称号に沿って尊称するのが慣例で、相手のtitle(称号)や敬称を疎かにする言動挙措は、自分のみならず自分が所属する社会までも国際儀礼に無知で無作法の烙印を押され軽侮の対象にされてしまいかねない。
瑶子女王殿下を名誉総裁にお迎えしたことは日本のモータースポーツ界全体にとっても大変名誉であることは論を俟たないが、業界関係者の女王殿下についての認識がいかほどだったかというと、筆者が聞いた範囲でだが「皇族のお一人」という答えばかりだったのは恐れ多くも情けない限り。
大正天皇の末子にして古代オリエント史の大家であらせられた三笠宮崇仁親王殿下が御祖父君、『ヒゲの殿下』の愛称で親しまれた寛仁親王殿下が御父君、平たく言うと今上陛下の6親等の再従姉妹(はとこ)であられ、スポーツそして自動車に関する御公務に熱心に取り組まれている宮様、という認識を持って欲しいところだが、昨今の若者には難度が高いだろうか。
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