クルマは移動手段であると同時に文化でもある。洋服に流行があるように、クルマにもその時代に合わせた流行が現れては消えていく。ここでは、昭和の終わりから平成の始めにかけてクルマ文化を席巻したクロカンブームの火付け役を探っていく。
※本稿は2025年4月のものです
文:永田恵一/写真:三菱、トヨタ、日産、スズキ、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年5月26日号
当時の若者たちが熱狂
クロカンブームは日本車が多様化したバブル期に始まった。クロカンブームに火をつけたのはバブル期にモデルサイクル後半となった初代パジェロで、同時期にはハイラックスサーフやテラノ、小さいほうでは初代エスクードも成功。
しかし、その決定打となったのは1991年登場の2代目パジェロである。2代目パジェロは初代モデルの大成功によりさらに乗用車的になったのに加え、バリエーションも非常に幅広かったこともあり、初期には販売台数1位になるほど大ヒット。
だが、次のSUVブームの頃からクロカンはいろいろな意味で過剰なこともあり、ブームは沈静化した。
クロカンはハズシの要素や資産価値の高さなどもあり、2018年の現行ジムニーが火付け役となり第二次ブームがスタート。言うまでもない現行ランクルのヒットもあり、今後はランクルファミリーの拡充やサファリの復活も濃厚となっている。

























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