今から60年近く前、アメリカのゼネラルモーターズは早々と燃料電池の技術を自動車に転用しようと模索していた。しかし、その事実は意外なほど知られていない。ここでは世界初の燃料電池車「エレクトロバン」について解説してみたい。
文:古賀貴司(自動車王国)/写真:GM
【画像ギャラリー】これがアメリカ版燃料電池車の祖!? 衝撃の姿をどうぞ(4枚)画像ギャラリー世界初の試み、燃料電池自動車「エレクトロバン」
ゼネラルモーターズ(以下、GM)の本国のプレスサイト(誰でも閲覧可能)を覗いていて、思わず目が釘付けになった話があった。
現在、脱炭素社会の一役を担う技術として「燃料電池」は現実的な選択肢となっている。そんな燃料電池、なんとGMでは59年前から取り組んでいたという。
アポロ計画で月面着陸を成功させた影の立役者が燃料電池だったことをご存じだろうか?
その成功をきっかけに、燃料電池は地上の乗り物にも応用できるのではないかと自動車メーカーが動き始め、現在に至っているのだ。
そして1966年、GMは世界初の燃料電池自動車「エレクトロバン」を発表した。
「エンジニアのほとんどは燃料電池が何かさえ知らなかった」と、プロジェクトマネージャーだったフロイド・ウィチャレクは後のインタビューで明かしている。
紆余曲折を乗り越えて完成した性能は?
エレクトロバンのベースとなったのは、当時のGMC「ハンディバン」。選ばれた理由は単純で、巨大な機器を詰め込むスペースが必要だったからだそうだ。
完成した車両の重量は実に7,100ポンド(約3.2トン)、そのうち3,900ポンド(約1.8トン)が燃料電池システムと電気駆動装置だけで占められていた。気になる動力性能は、0-60マイル(96㎞/h)加速は30秒(!)。
今日の電動車と比べるとかなり“牧歌的”だった。
また、航続距離は推定150マイル(約240km)とされていたが、安全上の理由から公道での走行テストは行われなかったという。
実際、開発は困難の連続で1966年9月のテスト中には外部水素タンクが爆発し、破片が約400メートル先まで飛散する事故まで起きた。GMが特別に設けた屋外テストエリアでの実験だったからこそ、大惨事を免れ、負傷者は0に済んでいる。
当時のGM副社長エドワード・コールは「燃料電池による電気推進が技術的に実現可能であることを示した」と評価する一方で、「動力源のサイズ、重量、コストを抜本的に改善する必要がある」と課題も指摘していた。
果敢なチャレンジが現代の技術を繋がっている
そしてエレクトロバンの登場から約60年。GMの燃料電池事業エグゼクティブディレクター、チャーリー・フリーゼは「エレクトロバンプログラムは現代の燃料電池技術の基盤を築いた」と振り返る。
現在の「HYDROTEC」と呼ばれるGMの燃料電池ユニットは、大きなスーツケースほどのサイズに300個の燃料電池を凝縮。
約60年前はバン全体を埋め尽くしていた機器が、信じられないほど小型化されたというわけだ。
面白いのは燃料電池だけでなくコードレス掃除機、メモリーフォーム、マジックテープなど、私たちの日常生活に浸透している多くの技術が宇宙計画から生まれたという事実である。
宇宙への挑戦は、地上の技術をも大きく進化させたのだ。約60年前、エレクトロバンという「走る実験室」に携わったエンジニアたちは、未来の自動車がどうなるかを正確に予測できなかっただろう。
しかし彼らの大胆な挑戦が、今日の燃料電池技術の発展に確かな足跡を残したのだ。
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