ホンダシティからロゴ、そしてフィットへ
1981年の登場とともに一躍大ヒットとなったシティ。
初代はトールボーイと呼ばれた背高なデザインが人気であったが、2代目は一転ワイド&ローのデザインとなったことが影響してか、販売が低迷。1994年にわずか2代でその歴史を終えることとなる。
その後1996年に実質的な後継車としてロゴが誕生、シティが見た目重視で失敗したことから、ロゴは徹底して実用性重視で作られた。
販売価格も安価であったが、実用性に振りすぎたことで人気は振るわず、僅か5年、たった一代で、その座をフィットに譲り渡すこととなった。
シティ、ロゴと迷走したホンダであったが、その経験があったからこそ、その後のフィットの大成功につながったのかもしれない。
ちなみに海外ではフィットベースのセダンがシティ名で現在でも販売されている。
また、初代フィットをベースに、コンパクトミニバンとして初の3列シート7人乗りを実現したモビリオも、現在フリードと、その名を変えている。
フィットの大成功により、モビリオもまた相乗効果でヒットしたクルマであるが、フリードとなり、さらなるヒットを遂げた。
マツダファミリアからアクセラ、そしてマツダ3へ
1963年、当時まだ社名が東洋工業株式会社であったマツダから発売された小型商用車ファミリア800バンがその歴史の始まりだ。
マツダを代表する小型車として40年も続いたファミリアであるが、2003年、世界に通用するコンパクトカーとして開発されたアクセラの誕生を受けて、名称が消滅。
マツダの思惑通り、初代アクセラは、世界100か国以上の国で、トータル200万台を超える大ヒットを記録。
2004年欧州カー・オブ・ザ・イヤー2位にも選出され、今に続くマツダのブランド改革戦略の一歩として、成功の要因となるクルマとなった。
このアクセラの欧州での販売名は、初代よりマツダ3。2019年アクセラとして4代目のフルモデルチェンジの際、日本での名前もマツダ3となり、アクセラの名前は消滅することとなった。
このほかにも、マツダは昨年、デミオをマツダ2へ、アテンザをマツダ6へと、それぞれグローバルで用いられてきた名前へと変更、車名のグローバル化が進められている。
日産セドリック/グロリアがフーガへ
2004年まで販売されていた日産の高級セダンセドリックとグロリア。セドリックは1960年に日産自動車が販売を開始。
いっぽうのグロリアはセドリックより1年早い、1959年にプリンス自動車工業(当時は富士精密工業)が、同社のスカイラインの派生モデルとして誕生させたものだ。
1966年にプリンス自動車工業との合併により、日産に引き継がれた。
その後、2台は基本構造を統一した姉妹車となり、セドリックは高級感を高い年齢層を意識したクルマに、グロリアはスポーティに寄せ、若年層を意識したクルマつくりがなされた。
両車はセドグロと呼ばれ、当時のバブル景気も手伝って、一大ブームとなった。
そうして名車となった両車であるが、しかし、2004年に、両車はフーガとして統合されることとなる。
当時の日産自動車社長であったカルロス・ゴーン氏はブランドを刷新するというメリットがあるからだとしているが、その後のフーガの売れ行きは、皆さんも知るところであろう。
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