2014年4月16日、光岡自動車が2006年からラインナップしてきた“ファッションスーパーカー”オロチ(大蛇)の生産終了が発表された。5台限定の特別仕様車「ファイナルオロチ」の詳細とともに、光岡自動車とオロチの歴史を振り返る!(本稿は「ベストカー」2014年5月26日号に掲載した記事の再録版となります)
文:清水草一、スーザン史子、テリー伊藤、永田恵一、編集部/写真:光岡自動車
生産終了にともない5台限定の特別仕様車を発表!! その名も「ファイナルオロチ」!!
2006年の発表からの累計生産台数は約130台。日本自動車界に旋風を巻き起こし、多くの識者たちに愛され、根強いファンを獲得した和製スーパーカーが、その舞台の幕をおろす。
そして、光岡自動車は4月23日、オロチの最後を飾る特別仕様車「ファイナルオロチ」を発表。
「ゴールドパール」と「不夜王」という2色の専用ボディカラーが設定され、FRP製のフロントリップスポイラー、リアウイング、Bピラーに装着される専用エンブレム、インチアップされた専用19インチホイールを装備。
インテリアも専用シートと専用ステアリングの採用により、特別な雰囲気を醸し出している。価格は1270万円で、生産台数はゴールドパール3台、不夜王2台の合計5台となっている。生産終了は9月の予定。
光岡が必死で作ったオロチが絶版となったのはとても残念なことだが、ここでオロチが辿った軌跡を振り返ってみよう。
車名の通りヤマタノオロチをデザインのヒントにしたオロチが初めて世に出たのは2001年の東京モーターショー。コンセプトカーとして出展されたオロチはNSXをベースにしたモデルだったが予想以上の反響を集めた。
2003年の東京モーターショーにはより市販車に近いモデルが出展され、2005年の東京モーターショーで市販化が発表され、2006年10月についに市販車が発表された。
オロチは前述したように“ファッションスーパーカー”というコンセプトで開発され、このコンセプトには「スピードレンジが低い日本の環境に合った、優しい気持ちで気軽に乗れるけれど存在感は凄いクルマ」という想いが込められており、走りよりもデザインや雰囲気を楽しむスペシャリティーカー的なスーパーカーというユニークな存在であった。
フェラーリ512TRを参考に自社でパイプフレームのシャーシを完成した光岡だったが、さすがに自社でエンジン、トランスミッションを作ることはできず、エンジン、トランスミッションはトヨタから供給を受けた3.3L V6と5速ATを搭載。
その他の部分もブレーキはレジェンド、ステアリングはスズキ、インテリアの各所も見覚えのあるパーツが並び、見方によっては日本メーカーの夢を乗せて走ったクルマでもあった。
日本製スーパーカーということで発売以来何度かショーカーとしてモーターショーなどのイベントに登場。そのたびに「和」のイメージを強調した装飾をまとって展示され、ファンを喜ばせた。今も根強いオロチファンが全国に存在する。
伝説となったオロチだが、いつの日かGT-Rのように復活することを願いたい!
オロチ生産終了に捧げる有識者たちの声
●清水草一
2001年東京モーターショー、人々はオロチのコンセプトカーに熱狂していたなぁ……。そりゃもうすごい人気で、取り巻く人ごみの数は、その年の最大の目玉としてサプライズ展示されたGT-Rコンセプトすら上回っていたかも!
私はというと、「オロチの写メ撮ってるオバハンたち、あんたらこのクルマ買わんやろ!」と思ってたけど。つまり私個人は、オロチを大変冷やかに見ておりました。
が、実車が登場し、試乗させていただいて、見かたや考えがまるで変わりました! オロチはすげえ! ホントにすげえ! だってオレ、クルマ作れないもん!
変態的クルマ好きの私ですが、クルマは作れません。クルマの粘土細工すら怪しいです。でも光岡は本当に作った! 凄いとしか言いようがない!
乗ってみると、実にちゃんとしていて本当にビックリしました。トヨタが作ったといっても信じるくらい、デキはよかった。もちろん北米向けハリアー用のエンジンやミッションは、スーパーカーらしい刺激は全然ありませんでしたが、そんなのはアタリマエ! ちゃんと直進するクルマ作っただけでも驚異であり大拍手だ!
あの衝撃のモーターショーデビューから、もう12年半がたったんですね。オロチは力のかぎりくねったと思います。賞賛の言葉しかないッス!
●スーザン史子
オロチほど、デザイナー個人の個性を体現できたクルマって、現代にはないんじゃないかな。デザインを手掛けた青木孝憲さんとお会いしたのは2006年。茶髪に黒づくめのファッションに、思わず「ヤンキーなんですか?」っと聞いてしまった私。スイマセン(笑)。それぐらい独特のセンスをお持ちの方でした。
お話してみると、物静かで、とても知的な方。実際、ヤンキーだったという事実はなく(笑)。でもピュアで一本気な生き様には、どこかしらヤンキー気質が感じられたんですよね。
たとえば、彼がカーデザイナーになった経緯がユニーク。大手自動車メーカーからの不採用通知では夢をあきらめきれず、ふと目にした光岡自動車のフリーダイヤルに連絡。「なんとか絵だけでも見てほしい」と食い下がり、当時の会長との面接で、カーデザイナーへの切符を手にしたとか。このハングリー精神、ド根性がオロチにも表現されているでしょ?
オロチのデザインって洗練とは真逆の“バッドセンス”。たとえるなら、サテン地に龍の刺繍を施したヤンキージャージ。でもそこには強烈な個性が感じられて、飛びつくほど好きだという人も一定数はいるわけです。大手には踏み込めない、ニッチなデザインマーケットを掴むのが光岡の強み。オロチがなくなるのは残念だけど、ミツオカにはこれからも面白いクルマを作ってほしいです!
●テリー伊藤
オロチは生産終了となったことで「神」となった。これは間違いなく真実である。
これまでオロチは日本自動車界で異端児として扱われてきた。それは例えば、マイケル・ジャクソンが晩年の数年間、ポップス界の異端児として扱われてきた姿と同じだ。幼児虐待や浪費癖などが取りざたされたが、なくなった瞬間、彼は「キング・オブ・ポップ」として、神として扱われていった。
オロチもまったく同じである。オロチは消えゆくことでキング・オブ・スーパーカーとして伝説となり、世界にその名を残すことになった。
惜しむらくはオロチの在命中に、このクルマのすばらしさ、唯一無二の価値を世界が気づかなかったことである。
惜しい。あまりにも惜しい。できれば、もし可能だったならば、オロチが現役のうちにその魅力を世界が認めてほしかった。そしてオロチの笑顔が見たかった。しかしそれは今言っても仕方のないことだ。
きっとオロチはこの先、『007シリーズ』のボンドカーとして使用されるに違いない。
オロチは最後に特別仕様車を5台、生産するという。その5台はトヨタ2000GTと同じレベルの名車となるだろう。最後の1台はぜひEVとして発売してほしい。きっと後世まで語り継がれるだろうし、その1台には果てしないプレミア的価値が付くことだろう。
●永田恵一
オロチを改めて見て思ったのは「オロチは日本の自動車業界の夢が詰まったクルマだった」ということだ。どういうことかといえば、自前で量産車を作るということは大手メーカーにしかできないけど、オロチのようなクルマを作ることも大手メーカーにはなかなか難しい。そこで光岡のようなメーカーの出番となるわけだが、パワートレーンを筆頭に光岡にはできないこともたくさんある。そこに「夢は託した」とばかりに大手メーカーが各パーツを供給し、最終セッティングはマツダを退社したテストドライバーの小田昌司氏が担当するなどしてオロチが産まれた経緯を思い出すと、日本の自動車業界の懐の深さを強く感じる。
ず~っと先でいいから、光岡にはオロチのようなほかとは違ったスーパーカーを日本の自動車業界の夢としてまた作って欲しいと心から思う。
その時はお金持ちになって、買います。





















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