かつて人気を博したにもかかわらず、日本では2022年に販売が終了となってしまった日産のコンパクトカー「マーチ」。いまはそのポジションを「ノート」が受け継いでいるが、運転がしやすくて、丸っこくて可愛かったマーチの復活を、いまも期待しているユーザーは少なくないだろう。
日産といえばほかにも、「キューブ」や「シルビア」など、市場で独自の存在感を放ちながらも、姿を消してしまったモデルが数多く存在する。現在のラインアップに物足りなさを感じているクルマ好きにとっては、そうした名車たちの不在がもどかしく映ることもあるだろう。そんな日産の隠れた名車たちを振り返ろう。
文:立花義人、エムスリープロダクション/写真:NISSAN
【画像ギャラリー】小型ミニバンとして、隠れた名車だった 日産の初代「ラフェスタ」(17枚)画像ギャラリー欧州仕込みのスポーティセダン 「プリメーラ」
1990年に登場したミドルクラスセダン「プリメーラ(P10型)」は、生産終了となった日産車のなかでも「惜しい」と考える人が多いモデルなのではないだろうか。
初代プリメーラは、1980年代に「1990年代までに運動性能で世界一になり、技術の日産復活させる」ことを目的として日産が始めた「901活動」によって生み出されたモデルだ。当時の日本車としては珍しく「欧州志向の走り」を打ち出し、FF(前輪駆動)ベースのプラットフォームに独立懸架のフロントマルチリンク式サスペンションを採用、走行性能の高さを全面にアピールしていた。実際、そのハンドリングに対する評価は高く、自動車評論家からは「(乗り心地を無視すれば)欧州車を超えた」とされていた。北米でも「インフィニティG20」として販売された。
2代目(P11型)は、洗練されたスタイルと走りのよさで「知的セダン」のイメージを確立。初代ほどの人気には至らなかったが、90年代を象徴するスポーティセダンのひとつであった。
最終モデルとなった2001年登場の3代目(P12型)では、未来的なインテリアデザインを取り入れるなど意欲的な刷新を図ったが、市場には受け入れられず2005年に生産終了。短命に終わってしまったが、その走りのよさは欧州車好きの間で話題となったほどだった。
「くうねるあそぶ」の名コピーで時代を象徴した「セフィーロ」
1988年に登場した初代「セフィーロ」は、当時、日産の2枚看板であった「スカイライン」「ローレル」と同じ後輪駆動のシャシーをもつ「第3のモデル」として開発されたクルマだ。「スポーティ」なスカイライン、「ラグジュアリー」なローレルに対し、セフィーロは「先進的でスタイリッシュ」なクルマとして登場。印象的な広告コピー「くうねるあそぶ」で、バブル期のライフスタイルを象徴するクルマとしても大きな話題となった。
初代(A31型)は、FR(後輪駆動)レイアウトにRB20型エンジンを搭載、30代前半の走り好きの若者層から絶大なる支持を集め、ユーザーがエンジンやミッション、サスペンション、内装素材や内装色、外装色など、好きなようにカスタマイズして購入できる「セフィーロ・コーディネーション」という画期的な販売方法も当時は大いに話題となっていた。
1994年登場の2代目以降はFF化され、上質志向のセダンへと路線を変更。しかし、「FRでなくなったこと」と「ボディサイズの拡大」は、国内市場で戦うセフィーロにとってはつらく、2003年にローレルとともに「ティアナ」へとバトンタッチし国内から消滅。ただいまもセフィーロは、中古市場で高い人気を維持している。



















コメント
コメントの使い方2003年登場のマツダの初代アクセラにプリメーラのユーザーが多く乗り換えたのは、サイズが初代・2代目プリメーラと近いからじゃないかな。かく言う俺も初代と2代目のプリメーラは乗っていたけど、3代目のプリメーラは乗らなかったから、、