初代カローラの開発コンセプトとされていた「80点主義」という思想。長い年月が経過していく中で、この言葉は全てが平均点のつまらないクルマづくりと解釈されるようになってしまった。この解釈は、本来の80点主義という言葉の意味とは大きく違う。トヨタの強さの象徴でもある80点主義の正しい意味を、初代カローラと共に振り返っていこう。
文:佐々木 亘/画像:トヨタ、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】歴史のはじまり! 80点主義で生まれた初代カローラ! ハチロクだってこの子がいなければ存在しなかった!?(11枚)画像ギャラリー80点主義の正しい意味とは
高度経済成長の波に乗って、ファミリーカーを求めるユーザーが増えたことから着手されたカローラ開発。そのコンセプトは「80点主義+α」。これは、当時の開発主査である長谷川龍雄氏の思想である。
その思想は「お客様にとっては、1つでも劣っている点があってはならない。購入の際に気に入ったという優位点が1つ以上あり、満足感と誇りを感じていただく必要がある。落第点があってはいけないのが80点主義であるが、全てが80点でもダメで、90点を超えるものがいくつかなくてはならない」というものだ。
つまり、80点主義+αは決して平均点を目指すというものではなく、走行性能や居住性、コストと言ったすべての面で合格点に達しながら、購入の決め手となるいくつかの優位点をクルマに持たせるというもの。カローラにとっての+αの部分は、スポーティさだった。
コラムシフトが一般的だった当時、あえて4速フロアシフトを採用したり、スポーツカーで使用されていた丸型メーターを使用したりしたのが優位点の部分。セミファストバックと呼ばれる流麗なデザインを取り入れたのも、お客様が気に入ったと判断する+αの部分の一つだ。
これがカローラの哲学であり、80点主義+αの本来の意味なのである。
80点主義は完璧主義
なぜ100点では無く80点だったのか。これは推測の域を出ないが、おそらく80点主義が提唱されたスタートが、大衆車であるカローラの開発だったからだろう。クラウン開発時に、同様の発想が提唱されていれば、それは100点主義と呼ばれたかもしれない。
普及価格帯のカローラにおいては、全てにおいて100点を目指すことは現実的ではない。欠点を潰しながら、+αの部分をどうするかを考え実行する方が建設的だったはずだ。初代カローラが登場したのは、今から59年も前の1966年のこと。
以降、トヨタのクルマづくりには、80点主義+αを軸にした、カローラの哲学が息づいていると思う。
常に時代を先回りし、お客様や社会のニーズを先取りして改善を続けるトヨタは、技術力と商品品質の向上を絶え間なく続けてきた。カローラにおいては、これまでクーペ・ワゴン・ハッチバックなどで、多彩な車種バリエーションを展開し、適地適車の考えに基づいて、地域に根差したクルマづくりを続けてきている。結果として、トヨタもカローラもグローバルの世界で高い認知を得られるようになったのだ。
およそ60年へと続く道 千里の道もカローラから
トヨタは今でも、80点主義+αを念頭に置いてクルマづくりをしているだろう。そして、80点主義+αの中にも優位点をいくつも作り、時代に合わせた落第点の無い思想へと昇華させているに違いない。
80点主義というのは、元々の高い目標から平均点へ下げたクルマづくりを指しているのではないのだ。トヨタのクルマづくりは、いつの時代も平均的なクルマづくりで良しとされてきたことは無い。
トータルバランスに優れ、90点以上の突出した性能を持ち合わせたクルマは、長く乗り続けることができる実用車作りの神髄なのである。














コメント
コメントの使い方長谷川龍雄氏は、あのプリンス自動車の技術者たちの同じ立川飛行機で飛行機の翼設計してた方で戦後トヨタに再就職した方です。さて80点主義について抑々手抜きの80点と揶揄したのは、自動車評論家さんです。当時の長谷川氏の弁で言うと、お客様から性能、デザイン等すべてにおいて80点以上満足して頂ける車を目指したという事です。ちなみに長谷川氏が開発に携わった初代パブリカで失敗した経験から生み出された言葉です。