2025年6月21~22日に行われた第53回ニュルブルクリンク24時間レース。世界一過酷と言われるコースを舞台に、豊田章男会長が乗るGRヤリスDATは113周を走り切り見事完走。「ニュルはモリゾウの原点」と語るモリゾウさんの胸中は!?
※本稿は2025年7月のものです
文:ベストカー編集部/写真:トヨタ、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年8月26日号
ニュルも歓迎したトヨタの帰還
「トヨタがニュルに帰ってきた」。
地元の新聞がGRヤリスDATで再び24時間レースに復帰することを伝えていた。この記事を見てモリゾウさんはとても喜んだ。ニュルブルクリンクがトヨタのことを歓迎し、興味をもってくれている証拠だからだ。
その記事の中で「もしモータースポーツの挑戦がなければ、トヨタというブランドは違った形になっていたかもしれない」と記されていた。鋭い指摘だ。
トヨタがもしニュルブルクリンク24時間レースに挑戦せず、「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」を始めていなかったとしたら、少なくともGRヤリスは誕生しておらず、レースやラリーでの大活躍もなかっただろう。
2007年当時副社長だったモリゾウさんはニュルブルクリンク24時間レースに初めて参戦した。
それまで数年にわたりマスタードライバー成瀬弘さんの下で基礎から運転を教わった。トレーニングに使われたのは80スープラ。そして、ニュル24時間レースに出場するための訓練も80スープラで走った。欧州メーカーが新型車の開発でニュルを走るなか、トヨタには中古の80スープラしかなかった。
「『トヨタさんにはこんなクルマを作るのはムリでしょう!?』という声が聞こえてくるようでした。とにかく悔しかった」。モリゾウさんは当時を振り返ってこう話している。
モリゾウさんに運転のスキルを教え込んだ成瀬氏は「クルマを鍛え、人を育てるにはレースが一番いい。特に世界で最も過酷なニュルブルクリンク24時間レースは絶好の舞台」と考え、モリゾウさんにニュルブルクリンク24時間レースへの出場を進言する。
当時のトヨタは「売れるクルマ」や「つくりやすいクルマ」を重視し、創業時に掲げていた「いいクルマ」をつくることを忘れかけていた。モリゾウさんは「何か行動しなければ」と突き動かされるように出場を決めた。
しかし、トヨタの名前を使うことは許されず、誰からも応援されず、何をやってもまともに見てもらえない悔しさのなかなんとか24時間を走り切った。完走の瞬間涙があふれ出たが、それは喜びというよりも悔しさの涙だった。
モリゾウさんが言い続ける「もっといいクルマをつくろうよ」は、すべてこの悔しさが原点にある。
モリゾウから成瀬さんに伝えたい言葉
2025年6月22日16時(現地時間)、モリゾウさんと豊田大輔氏、石浦宏明氏、大嶋和也氏の4人でドライブした109号車は見事総合52位で完走し、SP2Tクラスのクラス優勝も飾った。完走したのは134台中88台といかに過酷な24時間レースだったかがわかる。
完走直後、モリゾウさんに「成瀬弘さんにどう報告しますか?」と聞くと、
「『成瀬さん、(ボクの)運転変わったでしょう? アクセル踏んでるでしょう? 成瀬さんはこれ以上運転をうまくなるんじゃないと言ってましたね。いいクルマか悪いクルマかわからなくなるからと言って。でもいいクルマがわかるようになりました』と伝えたいですね」と教えてくれた。
さらに、「『トヨタ自動車はなかなか協力してくれないんで(笑)、自分のチーム、ルーキーレーシングを作っちゃいました。そして、今回ガズーと一緒にやりました。そして技術部の親分(中嶋裕樹副社長)も仲間になりました。
トヨタではいろいろあっても、ここではワンチームなんです。成瀬さん、信じられますか?』そう報告したいと思います。きっと成瀬さんも喜んでくれると思います」と続けた。
モリゾウさんが一番うれしかったのはまさにワンチームになれたことだ。レース後の終礼でも、
「今回はガズー、ルーキーレーシング、技術部、プロのエンジニア、メカニック、ドライバー、みんながワンチームになったことが本当にうれしい。これが20年前にはやりたくてもできなかった。みんなで勝ち取った完走、本当にありがとうございました」と感謝を口にしている。
逆にワンチームにならないと完走が難しいのがニュルブルクリンク24時間レースでもある。
もうひとつモリゾウさんがうれしかったことがある。それはひとりのドライバー、モリゾウに徹することができたことだ。モリゾウさんは土曜日に3周の予定を6周走行し、日曜日の2回目の走行は5周の予定だったが、無線の不具合で4周目にピットインしたことで、給油や給水を済ませ9周を走行した。
合わせて15周(約380km)はニュルブルクリンク24時間レースの1人のドライバーの最低周回数にあたり、モリゾウさん本人も「とにかく15周を走りたかった。僕にとってもとんでもないチャレンジだった」と振り返った。
ドライバーに徹することで、モリゾウさんも限界を飛び越え、新しいニュルの風景を見たに違いない。今までで一番長く走り、一番ニュルと語り合えたことで、また新しい「モリゾウの原点」が生まれたに違いない。


















コメント
コメントの使い方親世代以上の年齢、しかもレーシングスピードでニュルを15周というのは、とてつもなく尊敬します。
私の年代でも、FSWみたいなニュルとは比較にならない短さのコースでも、本気で走ったらヘトヘトになります。
ニュルはゲームで走っても、多くの他プレイヤーたちと接触一切禁止かつタイム削ったら数周で疲れる。リアルならその百倍磨り減るはず。脱帽です。