モータージャーナリスト桃田健史の見解
噂どおりのまさかの展開。
特に追浜は、日産の生産部門の象徴「マザー工場」だ。見方を変えればマザー工場という呪縛によって稼働率が低下しても日産としては長年「できれば手を付けたくない物件」という意識があったはず。
「Re:Nissan」を掲げて「追浜延命策」を練るなかで、台湾の鴻海との連携を模索するのは当然だろう。
鴻海が都内で4月に行った、電動車に関する事業説明会を取材したが、元日産ナンバー3で現在は鴻海EV事業のトップとなった人物は日産に対してラブコールを送っていた。
同社は、ともにピニンファリーナのデザインである小型車「モデルB」とMPVの「モデルE」、より小型の「モデルA」や中型「モデルC」など自社EVをフルラインナップ。これらを自動車メーカー各社の要望により、鴻海が生産、またはメーカーが生産する方式を提案している。
噂になった追浜での鴻海との連携は、これにあたると思われる。つまり、追浜工場がなくなっても、日産がもう鴻海と手を組まないというわけでもないだろう。
今回の国内2拠点の生産終了で最も大事なことは、日産が跡地利用について責任を持つことだ。地域社会の未来について深く考える義務が、日産にはある。
今の時代、業績悪化で単純な事業縮小では、直接雇用関係のある従業員や取引のある関連企業のみならず、日産ブランドへのユーザーの印象が違う。日産にとってイバラの道はまだまだ続く。
追浜工場の歴史
追浜工場では1961年、ダットサン ブルーバードの生産を開始。累計生産台数は1978年に500万台、1992年に1000万台、2007年に1500万台を達成し、現在までに1780万台以上を生産。
2010年から初代リーフの生産を開始し、世界初の量産BEV生産工場となるなど、長年にわたり日産のマザー工場に君臨。現在は約2400名が勤務している。発表のとおり、2028年3月で長い歴史に幕を下ろす。
日本の組み立て工場で残るのは、栃木工場、九州工場、日産車体九州工場の3工場。栃木工場は国内初のインテリジェントファクトリーとして整備したばかりだったし、九州は日産の国内工場で最新かつ最大の生産力を誇る。
そのあたりの事情を考えると、追浜、日産車体湘南工場の終了は既定路線だったと言える。


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