ロングテール仕様で再び全日本GT選手権へ
日本に戻った後もラーク・マクラーレンとの関わりは続いた。1997年鈴鹿1000kmには関谷氏、土屋氏とともに参戦し、総合9位を獲得。さらに2000年にはヒトツヤマ・レーシングよりゼロ・マクラーレンF1 GTRを駆り全日本GT選手権に出場した。
驚いたのは、このマシンがラーク・マクラーレンF1 GTRとはまるで別物のように安定していたことだ。タイヤ冷間時も含め限界特性が穏やかで、ドライバーの意図に忠実に応答する。時に総合3位を走行するなど、競争力を示すこともできた。
後に判明したことだが、ラーク・マクラーレンの個体は極めて初期のシャシーであり、ゼロ・マクラーレンはロングテール仕様の最終ロットで完成度の高いマシンであった。
外観は同じでも、その内実は進化の積み重ねによって大きく異なっていたのである。初期のピーキーさは影を潜め、熟成された足回りは極めてコントローラブルだった。
マクラーレンF1 GTRは、単なるスーパーカーではなく、レースを戦い制覇することも実現すべく生み出されたマシンだ。自身の体験を通じても、このマシンが「限界性能を使い切ることの難しさ」と「熟成による進化」の両方を経験させてくれたことは間違いない。
今では手の届かない、超プレミアム車両として数億円単位の価値がある。限界走行を試す機会は二度と訪れないだろう。

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