これは市販車? それともコンセプトカー?
●日産 マーチ(3代目)
2001年の第59回フランクフルトモーターショー(ドイツ)、そして同年の第35回東京モーターショーに、日産は共通デザインのコンセプトカーを出品した。
フランクフルトモーターショーには3ドアの「mm.e」が、そして東京モーターショーには5ドアの「mm」が展示されたが、このどちらもがコンセプトカーというにはあまりにも市販車然としていたことが注目された。
それもそのはず、mm.eとmmはいずれも事実上の次期日産 マーチであり、その証拠に、2002年のフルモデルチェンジによって姿を現した3代目K12型マーチは、mm.e&mmほぼそのままといってよい出で立ちをしていた。
ちなみにmm.eの「.e」はヨーロッパを表している。
先代からは大きく変化したキュートなルックスの3代目マーチは、女性ユーザーの関心をひくことにも成功してヒットモデルになった。
見た目が評価された3代目マーチはボディカラーのバリエーションも豊富で、それもまた同車の人気を高めた。
3代目マーチは2010年まで製造販売が行われ、その座は4代目K13型マーチが引き継いだが、先代ほどの支持は得られず、2022年の販売終了により、日本国内ではマーチの歴史に幕を閉じている。
驚きのデビュー、そして伝説のクルマに
●ランボルギーニ カウンタック
「カウンタック(クンタッチ、あるいはクンタッシュ)」は、イタリア方言で驚いた時に発する感嘆詞のこと。
これを車名にしたモデルがデビューしたのが1971年にスイスのジュネーブで開催されたモーターショーだ。
ジュネーブモーターショーの段階では「LP500」の名称で展示されたそのモデルは、イタリアのランボルギーニが開発したスーパーカーであり、極端なクサビ形を採用したそのフォルムを見た誰もが驚きの声をあげずにいられなかった。
ランボルギーニ ミウラの後継モデルとなるLP500は、ミウラ同様のV型12気筒エンジンを搭載するものの、そのマウント法はミウラの横置きから縦置きに改められ、ボディフォルムも直線的なものに変更されていた。
やがてLP500には「カウンタック」の名称が与えられ、エンジンやデザインが見直されたうえでカウンタックLP400として1974年に市販が開始される。
市販化に際して冷却ダクトの追加などが行われ、LP500が持っていたシンプルな美しさはやや薄められた感はあったが、それでも外観、そして性能のインパクトは十分であり、高額なスーパーカーにもかかわらず、高い人気を集めた。
最終的にカウンタックシリーズはいくつかの派生モデルを生みながら1990年まで生産が続けられるという息の長いクルマになった。
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