レパードといえばドラマに使用されたことでもおなじみで、いまでは日産にその名をのこすほどのクルマ。1980年に初代が登場して以来、2000年まで4世代にわたって販売された。まさに20世紀末を代表するクルマと言ってよいだろう。しかし、そのなかで3代目は「J.フェリー」とやや趣の異なる名称がついている。これはなぜなのだろうか? そこにはなかなか興味深い背景が潜んでいた。
文:小鮒 康一/画像:日産
【画像ギャラリー】なかなか高級感もあるし尻下がりのデザインも味があるじゃないの!! 3代目レパード J.フェリーもいま見たらなかなかカッコイイじゃないか!(8枚)画像ギャラリー意外な理由で登場した3代目!
日産レパードというと、あぶない刑事でもおなじみの2代目(F31型)が知られるところだが、レパードの名を冠したモデルは4世代に渡って存在していた。
そんなレパードは初代、2代目とトヨタ ソアラをライバルとしてリリースされていたが、残念ながらソアラの牙城は崩すことができず、2代目をもって終売となる予定だった。しかし、販売会社からラインアップが減ることを危惧する声が挙がり、急遽投入されたのが3代目となる「レパード J.フェリー」だったのだ。
インフィニティ向けのモデルを日本向けに販売
1992年6月に日本での販売がスタートしたレパードJ.フェリーは、それまで2ドアスペシャリティクーペ(初代は4ドアハードトップも存在)だったのに対し、4ドアセダンのみのラインナップとなっていた。
これは元々北米市場向けのプレミアムブランドであるインフィニティ向けに開発されていたモデルを急遽、日本へレパードとして投入することになったからで、現地の車名は「インフィニティJ30」だった。つまり、車名に入っている“J”はここからきていると思われる。
そんなレパードJ.フェリーは、インフィニティモデルに搭載されたV6 3Lのほか、シーマに搭載されていたV8 4.1Lエンジンもラインナップされていたことからも分かるように、ラグジュアリー性を重視したモデルとなっていた。
そのためかオプションとしてイタリアの高級家具メーカーであるポルトローナフラウ社製の本革シートを用意し、インパネなどにはウォールナットを用いた本木目とするなど、高級パーソナルセダンというキャラクターが与えられていたのである。
今見ると超絶カッコいい? 北米好みのデザインであった
ただ日本市場では特徴的な尻下がりのデザインが受け入れられず、残念ながら販売は低調に終わってしまったのだが、このデザインは北米にある日産デザインインターナショナル(NDI)の手によるもので、同時期のブルーバードセダン(輸出名アルティマ)も同デザインセンターの作品となっており、北米市場の好みを反映したものとなっていた。
そう考えると日本でウケなかったのもやむなしといったところだが、今見てみるとその尻下がりのデザインが妙に癖になりカッコよく見えてしまうのはなぜなのだろうか。
ちなみにレパードは4代目になるとセドリック/グロリアの兄弟車となって車名も再び単に「レパード」となり、インフィニティ J30はセフィーロの兄弟車となるI30へバトンタッチをして1世代のみで終了してしまっている。











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