【黎明期から爛熟の現代まで】国産スポーツカー 波乱万丈70年の歴史を辿る

■1980年代はホットハッチ、そして多様なスポーティカーが登場する

●ホットハッチの侵略

 盤石だったスペシャルティ一族の牙城を脅かしたのが、1980年代前半に台頭したホットハッチ一族だ。この背景には1979年に日本車にターボエンジンが解禁され、小排気量エンジンでハイパワー、大トルクを実現できるようになったことがある。その先鞭を付けたのがB11型5代目サニーに追加された1.5Lターボや三菱ミラージュ1.4Lターボだった。時は1982年、まさにスペシャルティカーが謳歌していた時代に一石を投じるものとなり、スターレットターボやNAハイパワーのシビックSiなどが加勢して勢力を拡大した。

 1970年代後半の日本車は完全に牙を抜かれていた。この時代のスカイラインは5代目C210系(いわゆるスカイラインジャパン)だったが、直6、2L(L20型)を搭載するGTでさえ、“もわ~”と精彩を欠いたエンジンの吹け上がりで、C10時代のSUツインキャブを装備したL20型エンジンのパンチとは比べるべくもなかった。

 トヨタのM型2L、直6もしかり、直4の1.5~2Lクラスも軒並み精彩を欠いていた。

 ここに一石を投じたのがマツダだ。サバンナRX-7を1978年に投入する。燃費、排ガスには不利といわれたロータリーエンジンを搭載する、リトラクタブルヘッドライトの2ドアクーペ。センセーショナルだった。

マツダ 初代サバンナRX-7

 コンパクトで軽いボディに130ps/16.5kgmのロータリーエンジンはパワフルで、排ガス規制時代の暗いムードを吹き飛ばすには絶大なインパクトだったのだ。

 1979年、国産市販車に初のターボエンジンが解禁された。

 最初の搭載車は高級サルーンの日産セドリック/グロリアだったのは、認可を勝ち取るための「ターボは燃費向上のため」という理由を正当化するためだった。

 その後1980年にはスカイラインにターボモデルが追加され、各メーカーも次々とターボエンジンを開発していくこととなる。

 1.3~1.6Lクラスのエンジンにターボを組み合わせることで、それまでエントリーユーザー向けとされていたコンパクトハッチバックモデルがいっきにスポーティカーに変身していく。これが『ホットハッチの侵略』だ。

 日産の5代目サニー(B型)、三菱ミラージュターボ、そしてスターレットターボ(EP型)など、コンパクトFFハッチバックのスポーティモデルが各メーカーから登場していく。

1979年に国産車でターボエンジンが解禁されると、1.3〜1.6Lクラスのターボエンジンが次々に開発され、サニーターボ(写真)、スターレットターボなどが登場した
トヨタ スターレットターボ

 この時期、ホンダは一部モデルを除きターボエンジンには積極的ではなかった。エンジン開発に自信を持つホンダは、1.6L DOHCエンジン(ZC型)を開発し、シビックSi、CR-X Siなどでターボ勢と相まみえるのだ。

ホンダ シビックSi

 このNA開発の究極が1989年4月、インテグラに搭載して登場したB16A型VTECエンジンだ。

●ハイソカーの乱

 さて、このホットハッチの侵略と並行して「ハイソカーの乱」も勃発。1981年の初代ソアラが起爆剤となり、4ドアサルーンにも飛び火し、一大勢力を形成する。

ハイソカーブームの決定打となったのが1981年に登場したトヨタ 初代ソアラ。
日産レパード TR-X

 ホットハッチ一族の台頭により勢力図に変化が起こり始めていた1980年代前半、もうひとつの勢力となるハイソカー一族が侵攻の時機をうかがっていた。1981年、初代ソアラが登場したことでいっきにその機運が高まり、その勢力は既存の高級サルーン、クラウンやセド/グロ、さらにはマークII三兄弟にまで及んでいった。ハイソカーの源流は、実はソアラよりも先に侵攻を開始していた日産レパードだったのだが、レパード軍は陣地を拡大できぬままソアラ勢の軍門に下った。

●デートカーの役

 その一方で「デートカー」と呼ばれる勢力も台頭。

ハイソカーとともにデートカーと呼ばれる一群も台頭してきたのが1980年代。写真は1982年の初代プレリュード

 スポーティ路線を強めていたスペシャルティカー族だったが、その家臣の一部がこのままではハイソカー一族の侵略に耐えられないと反旗を翻し、新たな勢力「デートカー」を立ち上げて独立を目指した。主な武将はホンダ家のプレリュード、日産家のシルビアなどだったが、のちにスペシャルティ一族の重臣トヨタ家のセリカまでもが加わったことで形勢は一気に逆転した。

 元々はスポーツカーの系譜だったモデルがスペシャルティカーとなり、スポーツ路線よりもソフトなスタイリッシュさを追求していくのだ。

 その旗頭が1982年登場の2代目プレリュードで、FFになったST165系セリカ、FRを堅持したS12型シルビアなども追随した。

トヨタ ST165系セリカ

●軽自動車事変

 この混乱の世に乗じて気勢を上げたのが軽自動車。1987年の初代アルトワークス登場はあまりにもセンセーショナルだった。64ps規制はこの時に誕生し、今に続いている。

スズキ 初代アルトワークス

 こうして群雄割拠の様相を呈していたスポーツカーの混乱に乗じ、それまでの圧政に苦しめられていた軽自動車たちが蜂起した。その火種は遠州に立ち上がり、遠く泉州の地でも気炎が上がった。これが「軽自動車の一揆」である。具体的には1987年、遠州スズキ家からアルトワークスが立ち上がり、驚いた中央は急遽64馬力規制で勢力の制圧に動いたが、泉州ダイハツ家がミラTR-XXターボを武器に加勢。三河の地からはやや遅れて1989年に渡来の鉄砲を携えてミニカが軍勢に加わった。

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