【黎明期から爛熟の現代まで】国産スポーツカー 波乱万丈70年の歴史を辿る

■1980年代後半〜スポーツカー近代史はバブルとともに浮沈した

●バブル時代スポーツカー革命

 ここからは近現代史。言うまでもなく1989年のR32GT-R、Z32フェアレディZ、ユーノスロードスターの誕生は日本におけるスポーツカー革命といって過言ではない。

日産 R32GT-R
日産 Z32フェアレディZ
マツダ ユーノス ロードスター

 続く1990年にはホンダNSX、三菱GTOが登場し、1991年にはRX-7がFD3S型にモデルチェンジをする。

ホンダ NSX
三菱 GTO

 日本のスポーツカー史に大きな一石を投じたのがまさにこの革命。1980年代後半、バブル経済で自動車メーカー各社の業績は上向き、領地拡大のために軍神的な存在の武将育成に力を入れていた。この武将がいっきにその実力を発揮し、激しい闘いを繰り広げることになるのが1989年から1990年にかけての2年間だ。特に武将育成に力を入れたのが日産家で、R32スカイラインGT-R、Z32型フェアレディZなどは後年に語り継がれる伝説的名将となった。やや遅れて1990年にはホンダ家が欧米出兵を目指してNSXを、三菱家がGTOを送り込んだ。

 しかし革命期は長くは続かない。バブル経済の崩壊とともに冷え込んだ日本経済はスポーツカーに逆風を吹かせた。

●スポーツセダンの変

 そこで一気に立場を強めたのがスポーツセダンだ。4ドアボディで5名乗車。見た目には実用車的なのでスポーツカーのような風当たりはない。

 1990年代、スポーツカー革命の一方でもうひとつの勢力が台頭していた。それが『スポーツセダン』だ。2ドアスポーツが受難の時代と見るや、4ドアセダンの勢力が一気に時代の変革を訴えて蜂起。その旗頭となったのが日本全土に広大な領地を広げていたトヨタ家のアルテッツァだったため、他勢は虚を突かれた形となった。日産家はもともとその素養を持っていたスカイラインで対抗。ホンダ家はアコードユーロRでスポーツセダンの変に乗じた。

 4ドアセダンにハイパワーエンジンを搭載し、ハンドリング性能に磨きをかけたスポーツセダンが次々と登場する。

 その象徴的な存在が1998年に登場したトヨタアルテッツァだった。

トヨタ アルテッツァ

 FF全盛の当時、あえてFRプラットフォームを採用し、コンパクト4ドアセダンに仕立て、エンジンは210psの直4、2L(3S-G型)。アコードユーロRやレガシィB4などもスポーツセダンの一族だ。

ホンダ アコードユーロR
スポーツセダンは1990年代に花開く。初代レガシィは1989年1月に登場し、スポーツセダンとしては草分け的

●ランエボ・インプの乱

 このスポーツセダンの台頭の世の中でランエボ&インプレッサSTiの熱いバトルが繰り広げられたのは周知のことだろう。

『スポーツセダンの変』と呼応するように勃発したのが『ランエボインプの乱』だ。三河三菱家が小型セダンのランサーに2Lターボの強心臓を移植する強靱な武将を育て上げると、上州から中央制覇を目指していたスバル家が武蔵国の分家と協力し、インプレッサを急遽育成。STiバージョンとしてランエボの台頭に抑えをかけるも、後に共闘して独自の世界を築き上げるに至った。これを「ランエボインプの乱」と呼ぶが、戦いの場の様相が一変したことで収束した。

三菱 ランサーエボリューションIII
スバル インプレッサWRX STi Ver.III

 WRC、全日本ラリーなどでランサーエボリューションとインプレッサSTiが活躍し、この競技ベースマシンとしてランエボ、インプは毎年改良に次ぐ改良でパフォーマンスを高めあっていった。

 両車ともに比較的コンパクトな4ドアセダンにハイパワー2L直4エンジンを搭載し、フルタイム4WDで力強く走る。純粋なスポーツカーとはちょっと異なるテイストだが、スポーティな走りを楽しめる市販車として人気を博したのは言うまでもない。

次ページは : ■「2002年の屈辱」を経て、日本のスポーツカーは新時代へ

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