警察庁がまとめた運転免許統計によると、2019年に運転免許証を返納したのは前年比42.7%増の60万1022件となり、制度開始以来、過去最多になったという(2020年3月24日発表)。
2019年4月に池袋で発生した、高齢ドライバーの乗用車が暴走し12人が死傷した事故や、ニュースで数多く発生している踏み間違い事故、逆走事故などを見て、自主的または家族に説得されて返納したという人がいると考えられる。
免許を保有していればいつかは向き合うことになる免許返納問題は、決して他人事ととらえてはいけない。
返納するにはどうすればよいのか? 返納後の暮らしのためにどのような支援施策が必要となるのか? 過疎化が進んだ日本で、どうしても免許がないと不便だという地域ではどうするべきか? カーライフジャーナリストの渡辺陽一郎氏が提言する。
文/渡辺陽一郎
写真/Adobe Stock、警察庁、編集部
【画像ギャラリー】免許証返納の対象となる団塊の世代が憧れた当時のクルマたち
■2019年に免許の自主返納件数が過去最高に
最近は運転免許の自主返納(申請による運転免許の取り消し)が話題になる。自主返納制度が導入されたのは1998年で、この年の返納件数は2596件だった。それが2002年に運転経歴証明書を導入しており、2012年には、この証明書を交付後の年数にかかわらず、本人確認の書類として使用可能になった。従来以上に自主返納がしやすくなったわけだ。
このあとも、高齢ドライバーに対する呼びかけを積極的に行ったこともあり、自主返納の件数は、2016年には34万5313件、2017年には42万3800件と増えている。2019年には60万1022件に達した。
ちなみに、2019年に運転免許を新規に交付された人数は117万6579人だ。つまり新規で交付された人数の約半数は、運転免許を自主返納していることになる。
そして、運転免許を自主返納した人のうち、70歳以上が89%を占めた。70歳に達しているドライバーの人数は1195万3118人だから、2019年の運転免許返納件数が60万1022件であれば、70歳に達したドライバーの約5%に相当する。1年間にこれだけのドライバーが運転免許を返納したのだから、かなりの勢いだ。
■現代とはクルマの価値観が異なった世代
日本の人口の年齢構成を見ると、第二次世界大戦の1947~1950年頃に生まれた団塊の世代が多い。この世代の人達は1967~1970年頃に20歳になった。
1967~1970年頃は日本の高度経済性長期に当たり、クルマの世界ではカッコよくて高性能なスポーツモデルが続々と登場した。510型 3代目日産「ブルーバード」(1967年)、初代マツダ「コスモスポーツ」(1967年)、3代目日産「スカイライン」(1968年)、初代日産「フェアレディZ」(1969年)、初代トヨタ「セリカ」(1970年)、三菱「ギャランGTO」(1970年)などが見られる。
当時のクルマは高額商品で、1966年に49万5000円で発売された初代トヨタ「カローラ」は、大卒初任給ベースで今の貨幣価値に換算すると417万円に達する。今の感覚でいえば、トヨタ「アルファード&ヴェルファイア」と同等だったわけだが、それでも1960年代前半までに比べるとクルマが身近な印象になった。
なぜなら、1962年に105万円で販売された2代目トヨタ「クラウンDX」は、今の価値に換算すると1239万円に達したからだ。1960年代は給与と一般の物価が高まるいっぽうで、クルマの価格はフルモデルチェンジしても据え置きか、あるいは安くなる車種もあった。1960年と1969年ではクルマの価値感がまったく違ったわけだ。
団塊の世代は、まさにこの時代に大人に成長した。1948年に生まれた子供が10歳になった1958年に、東京タワーが完成して「スバル360」も登場している。発売時点でスバル360の価格は42万5000円だったが、今の価値に換算すると638万円だ。スバル360は、誰でもクルマを所有できるように開発されたが、実際にそうなるのは1960年代に入ってからだ。当時のクルマは、スバル360でも憧れの対象だった。
ところが、1948年生まれの子供が17歳になった1965年には、日本は高度経済性長期に突入する。翌年には前述の初代カローラと初代日産「サニー」が発売され、「頑張ればクルマを買える」実感を持てるようになった。
団塊世代の人達は1970年頃に就職して、そこからはオイルショックなど厳しい時代に入ったが、1980年代になって働き盛りの30代を迎えると、景気が再び良くなっていく。40歳前後はバブル経済絶頂だ。頑張って働いて、初代日産「シーマ」(1988年)、初代トヨタ「セルシオ」(1989年)などを購入した。
コメント
コメントの使い方