運転に慣れている人ほど、自分の変化には気づきにくいものだ。認知、判断、操作という一連の流れは年齢や経験によって少しずつ変わり、高齢ドライバー問題も免許返納だけでは語りきれない。速度を落とすこと、道路環境を見直すこと、そしてクルマ側が人に寄り添う安全技術を持つことの意味を考えていく。
文:中谷明彦/写真:ベストカーWeb編集部ほか(トビラ写真=xiaosan@Adobe Stock)
※記事中の写真はあくまでイメージです
そもそもクルマを運転するということは?
クルマの運転とは認知、判断、操作の三要素によって成り立っている。周囲の状況を認識し、判断そして適切な操作を行う。この一連の流れを、人間は極めて高度な能力によって瞬時に処理している。近年、自動運転技術の進歩が著しい。
だが、レベル4と呼ばれる高度自動運転が、いまだ限定的環境でしか成立していない現実を見ると、人間が持つ認知能力や状況適応能力がいかに優れているかを逆説的に証明しているとも言える。
しかし一方で、人間は加齢とともに確実に衰える。視力、動体視力、夜間視認性、聴覚、反射神経、運動能力。認知・判断・操作に関わるすべての機能は、年齢とともに低下していく。これは避けることのできない自然現象なのだ。
筆者自身、2027年には70歳を迎える。長年レースの世界に身を置き、極限状態で車を操ってきた立場から言っても、自らの能力低下を感じる場面は少なくない。レースをやっていた若い頃に比べて、夜間、対向車のLEDヘッドライトが異様に眩しく感じたり、暗所での歩行者発見が遅れたり、視野が狭まっているのを感じる。
経験不足な若年ドライバー、能力の低下する高年・中年ドライバー
当時は無意識にできていた操作も、今は意識しなければできない操作に変わってきている。重要なのは、その衰えを自覚できているかどうかだ。高齢ドライバー問題の本質は、高齢であることそのものではない。自分の能力低下を認識しないまま運転を続けていることにある。
近年、高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違い、ガードレール接触、逆走、対向車線へのはみ出しといった事故が数多く報道されている。それらの多くは運転者自身が自らの能力変化を受け入れられていないことによって起きていると言える。何十年も運転してきたから大丈夫と周囲の人に言ってはいないだろうか。この慢心こそが危険なのだ。
若年ドライバーであっても、経験不足ゆえに同様な危険なケースはある。周囲を認知できても、どう判断し、どう操作するべきかというスキルが未成熟だからだ。さらに言えば、人間の運転能力には極めて大きな個人差が存在する。運転の上手い人もいれば不得意な人もいる。
【画像ギャラリー】必要なのは踏み間違え対策だけじゃない! アイサイトXやトヨタセーフティ、ホンダ センシング……これからはヒトの差を前提とした安全機能が重要!?(13枚)画像ギャラリー必要なのは自己認識、しかしそれだけでは解決しない?
だからこそ重要なのは、自分は何が得意で、何が不得意なのかを正確に理解することだと言える。高齢ドライバーであればなおさらだ。
暗闇の視力低下を感じたなら夜の運転を避ける。雨天時に不安があるなら速度を落とす。初めて走る道では慎重になる。高速道路の合流が苦手なら時間帯を選ぶ。そうした自己分析と対策を前提に運転することが、本来の安全運転だ。
ところが、現代社会は運転できるかできないかという極端な二元論で高齢者問題を語りがちだ。免許返納を促す議論も必要ではある。しかし、それだけでは根本的な問題の解決にはならない。現在の日本の道路環境は、むしろ高齢者にとって年々厳しさを増している。車両は大型化し、出力も高まり、加速性能も向上した。
一方で、道路幅は昔のままという場所も少なくない。歩道と車道の区別が曖昧な生活道路も多い。そこへ性能差、速度差、技量差の大きい車両が密集して走っている。極めて危うい状況である。 本心を言えば、高速でサーキットを走るより、レースをするより、首都圏の密集地を走る方がよほど怖い。
















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