日産「マーチ」「キックス」、ホンダ「アコード」「シビック」「CR-V」などが海外をメイン市場として開発され、海外で発売されたあとしばらくして日本に導入される形がとられている。
メイン市場である海外で生産し、割り当て台数の少ない日本へは輸出するほうがコスト的に抑えることができるのかもしれないが、国内の自動車ファンとしては「日本はついでか…」という思いを抱くことになる。
なぜ最近国産メーカーは、海外のおさがりモデルを多く国内市場に投入するようになったのか? また国産メーカーに改めて考えてもらいたい次代への取り組みとは何か? 考察していきたい。
文/御堀直嗣
写真/NISSAN、SUBARU、編集部
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■日本市場縮小で進むグローバルカーという考え方
国内の新車販売台数は、年間で500万台近辺にある。バブル経済期といわれた1990年前後は700万台を超えていた。それに比べると約3割の落ち込みだ。その間、2008年のリーマンショックからの数年は、500万台さえ切って460~470万台であった。こうした国内市場の縮小により、たとえば日産「マーチ」は現行の4代目がタイ生産の車両となり、国内生産がなくなった。
海外で「マイクラ」の名で販売されてきた「マーチ」は、欧州ではすでにモデルチェンジを果たしているが、国内に新型が登場しないまま10年が過ぎている。また、直近ではコンパクトSUVの日産「キックス」も、タイ生産の車両である。
そのほか、ホンダでは、「シビック」やSUVの「CR-V」が、北米で先に販売されていたものをあとから国内へも導入することが行われ、このうちシビックの4ドアセダンは早くも販売を中止し、CR-Vも競合といえるトヨタ「RAV4」が好調であるのに対し、販売台数は思わしくない。
国内市場の縮小が、海外生産の車両を輸入するかたちで導入する事例を生んでいる。こうした状況が生まれる要因として、北米市場主体の利益の追求がまず行われ、またグローバルカーという考え方の普及もあるのではないか。
■必ずしも成功しているとは言えないグローバルカー
北米主体の利益の追求は、クルマをどんどん大きくしていくことにつながる。それは、国内では必ずしも適切な寸法でなくなってくる。米国で7割の収益を上げるSUBARU(スバル)は、「レガシィ」を米国最適とし、代わりに国内向けとして「レヴォーグ」を追加した。シビックやCR-Vも、日本には大きすぎると考え、当初は国内導入を考えていなかったはずだ。
日本車が、北米への販売に力を入れながら、やがて欧州や中国へも販売することを考えるようになって、グローバルカーという意識や言葉が広がったと思える。同様に、ワールドカーといったいい方もあるが、自動車メーカーにとっては、1つの車種で全世界を網羅できればこれほど楽な話はない。新車開発の投資も、特定の地域に売るだけでなく世界で売れば何倍もの利益が上げられ、失敗の恐れも少なくなると期待する。
しかし、グローバルカーが必ずしも成功しないことは、過去の例でも明らかだ。その理由は、北米、中国、欧州、そして日本や、ほかのアジア諸国は、それぞれ道路事情も人口密度も異なり、収入もさまざまで、1つの車種で網羅しきれないからだ。それでも、自動車メーカーはなお、グローバルカーの呪縛から逃れられずにいる。
そこは日本車に限らず、輸入車も同じだ。
米国では、かつて石油危機が起きた1970~1980年代に、日本車に負けないようにと小型車を作ったが、失敗している。世界の小型車の規範とされてきたフォルクスワーゲンの「ゴルフ」も、2015年に米国でディーゼル排ガス偽装問題を起こしたのは、欧州で人気を高めたディーゼルエンジン車が必ずしも米国市場に適合できず、それを根本から修正せずにごまかそうとしたためだ。
日本で、米国車が売れないのは右ハンドル車でなかったり、カーナビゲーションの水準が十分でなかったりしたことがある。そしてフォードは日本から2016年に撤退していった。
つまり、グローバルカーとは幻なのである。それでも、それぞれの地域ごとに新車を開発したのではとても採算が合わない時代にもなっているだろう。ではどうするか。
基本要素となる部品は共通化しながら、車体寸法や標準装備、そして外観の造形などは地域に合わせたローカルな商品企画とすることではないか。すべてを一つの車種で世界を賄うよりは投資が掛かるだろう。だが、地域に合わせた新車を個別に開発するより投資は抑えられるのではないか。
トヨタが進めるTNGAや、マツダが取り組み一括企画のような考え方を、より柔軟に広げていくことで、新たな開発の仕方が見えてくるかもしれない。
そのうえで、生産は地産地消のように、販売される現地で製造するのが適切であるはずだ。一方で、個別の地域に生産工場を持てない場合には、最寄りの工場で製造し、輸出せざるを得ない。たとえば国内向けにタイで生産することも、そのこと自体がいいとか悪いということではないと思う。
■海外製だから「よくない」ではない 国産メーカーに求められる次代への考え方
かつて、メルセデス・ベンツ「Cクラス」が南アフリカの工場で製造され、国内に輸入されたことがある。その事情について、ダイムラー社は、南アフリカの工場がその時点でもっとも新しく、生産設備も新しいため、ドイツのシュツットガルトの旧い工場で生産するより品質は高いと説明した。アジアやアフリカで製造されているから品質がよくないという考えは、偏見といえる。
今日、多くの生産工場が生産設備を新しくしながら、その工場の生産技術については母国のマザー工場と呼ばれるところで築き上げられ、それを各地の工場へ展開することが行われており、世界共通の品質が保たれようとしているといっていいだろう。また日本の自動車メーカーは、海外生産する際に現地の従業員を日本の工場に研修する制度も行っている。
現地生産を増やすことは地域の雇用を増やし、現地の人々が幸せに暮らせる仕事を提供することにつながり、単にクルマの性能だけにとどまらず、その自動車メーカーのブランド力を高めることにもなる。
そのうえで、日本のものづくりの考え方や技術が世界の規範となるような新車が誕生すれば、それは素直に嬉しいことでもある。
ホンダの「新型フィット」は、日本に最適なコンパクトカーであることを念頭に開発され、それを世界に通じるクルマに仕立てていく開発方針が採られた。日本の風土や、日本人の感性が、世界の人々に感動を与えることができれば誇りにもなる。
また電気自動車(EV)では、クルマとしての性能だけでなく、EVであるからこそ考えなければならないEV後のリチウムイオンバッテリーの再利用や、大規模自然災害に際して電力確保ができるEVからの給電の考えも、日本ならではの発想だ。この点についてはまだ海外の自動車メーカーは実用化の水準に達していない。
何台売れるかという販売台数や収益だけでなく、クルマの本質的なことを見抜いて次世代を築く取り組みに、日本は先駆的立ち位置に居るといえる。世界に役立つ日本の資質があることに、国内自動車メーカーは自信と誇りをもって取り組むべきだろう。