■ユーザーから「敬遠」された!? バサラが鳴かず飛ばずに終わった理由
日産 バサラが、約3年半という短い期間でとっとと消滅してしまった理由。そのひとつには、「そもそものベースとなった車両が日産 ルネッサだったから」というのがあるでしょう。
初代プレサージュ/バサラのベースとなったルネッサの、さらにそのベースは、日産が1997年に北米で発売した「Altra EV(アルトラEV)」というリチウムイオン搭載のEVでした。
そしてAltra EVは1998年、日本でも「ルネッサEV」という名前で発売されました。
まあ1997年に発売された普通の日産 ルネッサは直4ガソリンエンジンを搭載するモデルでしたが、そもそものオリジンはEVですので、フロアはバッテリーを搭載できるよう二重構造になっています。
つまり床面はどうしても高くなり、そして頭上スペースは(車高を高くしない限り)窮屈になる、ということです。
そんなルネッサの骨格を利用して作られたのが初代プレサージュとバサラでしたから、低床ミニバンという割に全高はオデッセイより高く、しかし室内の高さは不足気味であるという、なんだかよくわからないパッケージングになってしまったのです。
これがまず第一に、日産 バサラ(と初代プレサージュ)が今イチ売れなかった理由です。
そして同時に、バサラの場合は「メーカーの安直な姿勢が嫌われた」というのもありました。
「ニューモデル、日産バサラ登場!」「プレサージュの上級バージョン!」とか言いつつ、実際に初代プレサージュと異なっていたのはグリルとライト、バンパー、そしてせいぜい内装のカラーやシート地程度。
それを「上級志向のニューモデル」として出されても、ユーザーとしては「なんだそりゃ?」と思うほかありません。
いや、昭和の時代には、そういった安直なバッジエンジニアリングもそれなりに威力を発揮していたものです。
しかし市場が成熟していくにつれ、そういった手法もだんだん通用しなくなっていきました。2020年の今となっては、まったくもって通用しないでしょう。
しかし日産バサラが登場した1999年といえば、元号で言うと平成11年。メーカーとしてはまだまだ昭和感覚が残っていて、「まぁぼちぼちイケるんじゃね?」と考えたのでしょう。
さすがに爆発的に売れるとは考えてなかったと思いたいですが、顔を変えることで「まあまあ程度は売れるだろう、イケるだろう」と考えたのです。
しかし実際は、ぜんぜんイケませんでした。
「小手先のワザ」はもはや通用せず、すぐに消費者から見破られてしまう時代になり始めたのが、日産 バサラが登場した平成11年頃のニッポンだったのかもしれません。
■日産 バサラ主要諸元
・全長×全幅×全高:4795mm×1770mm×1725mm
・ホイールベース:2800mm
・車重:1620kg
・エンジン:V型6気筒DOHC、2987cc
・最高出力:220ps/6400rpm
・最大トルク:28.5kgm/4400rpm
・燃費:8.8km/L(10・15モード)
・価格:301万8000円(1999年式 X)
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