FR車には「娯楽的価値」と「情緒的価値」がある
しかし、機能的価値がないからFR車は必要ない、ということではないと考えます。FR車には、FR車でしか得られない、例えば、リアスライドが生じるギリギリを攻める感覚といった「娯楽的な価値」があります。多くのFR車好きは、こうしたFR車ならではの運転を楽しんでおり、こうした方たちにとっては、機能的価値はなくても、FR車じゃなければだめなのです。
また、海外のハイクラスブランドである、メルセデスやBMWにおいては、いまでもFRセダンは看板車種です。「伝統のFR」に挑むメーカーエンジニアたちは、そのクルマを期待している顧客に応えるため、そして、先人たちが積み重ねてきた「伝統のFR車」をどれほどアップデートできるのか、常に「高い志」をもって仕事をしているように感じます。
こうして、FR車を続けるのは、「機能的な価値」よりも、「娯楽的価値」と、ステータスや憧れといった「情緒的な価値」を大切に考えているのではないでしょうか。
筆者は、現役の開発エンジニアだったころ、操安性能を担当する上司から「FRが必要な理由を述べよ」と問われたことがありましたが、即答できませんでした。未熟だった筆者は、「機能的価値」で説明しようとしたのですが、今思えば、上司は「FRには娯楽的・情緒的な価値がある」ということを伝えようとしてくれていたのかもしれません。
スポーツカーでは生き残る しかしセダンには必要ない
フェアレディZやスープラ、86、BRZ、ロードスターといったスポーツカーは、「娯楽的価値」のために存在しています。たとえ、レベル3相当の自動運転技術が搭載されるようになったとしても、これらのクルマのオーナーは運転を楽しむ方が多いでしょうし、FRも生き残っていくものと思われます。
しかしながら、セダンではFRが生き残ることは難しいでしょう。レクサスは、前述したメルセデスやBMWのように、情緒的価値を提供できるブランド力がついているため、セダンをつくり続ける限り、FRにこだわっていくかもしれませんが、その他、特に日産は難しいと思います。
例えば、スカイライン。「スカイライン」というクルマの定義を、「その時代の最先端技術が織り込まれた5人乗り4ドアセダン」とするならば、将来のスカイラインが「FR車」である必要は、残念ながらありません。
マツダは、ラージクラスの直6エンジン縦置きのFR車を構想しているようです。このご時世のなかで、今後どういった展開をみせてくれるのか、非常に楽しみです。
日本車のセダンは、例えば、後輪をエンジンもしくはハイブリッド動力で駆動し、フロント輪はモーター駆動する「電動4WD」のような新たなパッケージで進んでいくのかな、と個人的には考えています。
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