“幻のデザイン案”は後のインプレッサにも生かされた
しかし、当時のスバルは、軽自動車を含めて年間に開発を行えるのは1.5車種が限度だった。そのためにスバル初のSUV「フォレスター」の企画が立ち上がった際、2代目インプレッサの企画は、一時凍結。
再開時には、一から企画が練り直され、結果、石井部長の最初のデザイン案は、そのまま幻へと終わった。
ただ、その後もキャビンフォワードデザインを取り入れるべく取り組みを続け、それが実現したのは、2011年登場の4代目インプレッサからだという。これによりAピラーを200mmも押し出すことを可能とした。
では何故、キャビンフォワードデザインの実現が難しかったのだろうか。それはスバル伝統の安全な車作りにある。既存のまま、Aピラーを前進させると、ドライバーの視界が犠牲になってしまうことが危惧されたからだ。
そこでデザイン部では、ドアミラーの装着位置をピラーからドアパネルへと変更。さらに三角ガゼット(三角窓)を設けることで、視認性の確保できることを証明し、スバルデザインも一歩踏み出すことを叶えた。
「トレンドは横目で見ておく程度でよい」
石井部長は、
「現場には、トレンドを無視してはいけないが、横目で見ておく程度で良い。それよりもスバルらしいデザインを考えなさいと言っている」
「確かに主要マーケットはアメリカ。だからアメリカ向けのデザインをすればいいという意見もある。ただそれでは、アメリカを含め、スバル支えてくれるファンを裏切ることになると思う」
「今もトレンドを悪戯に追わず、単にカッコ良さを追求するだけじゃなく、形に意味を持たせることを大切にしている」
と教えてくれた。
若き日の石井部長のデザインスケッチからは、進化の努力を続けながらも、スバル車のデザインが別物に化けることがなく、常にスバルらしさを持ち合わせている理由を理解することが出来た。
米国では、スバル車ユーザーの98%が10年以上、1台を愛用するという。
確かにトレンドヒットとなるような瞬間風速的に売れる車は生まれづらいかもしれないが、長く愛したくなる車やレヴォーグのような唯一無二の存在を生み出せるのは、こうしたデザイン面でも実直なスタンスがあるからなのだろう。
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