日産 プレセアが描いた9年 柔らかな曲線美が記憶に残る4ドアHTの佳作!【偉大な生産終了車】

■ブームとデザイン プレセアを阻んだ2つの“終焉”

 初代の発売当初は好調なセールスを記録した日産 プレセアが、2代目をもって完全に終了してしまった理由。

 それは、直接的には「4ドアハードトップブームが終焉したから」ということになるでしょう。

 1980年代後半から1990年代前半にかけては、各社が登場させた「背の低い4ドアハードトップ」――具体的にはトヨタ カリーナEDやスプリンターマリノ、ユーノス300などが「カッコいい!」ということで、比較的若い世代のドライバーから大きな支持を集めました。

インパネ部(初代)。ライトを点灯させるとメーターが鮮やかなブルーに発光する「マリンブルーメーター」を採用。演出を高めた
インパネ部(初代)。ライトを点灯させるとメーターが鮮やかなブルーに発光する「マリンブルーメーター」を採用。演出を高めた

 しかし1990年代半ば頃から、一部の自動車評論家は「あんなモノ(背の低い4ドアハードトップ)はセダンじゃない! 邪道だ!」的な主張をし始めました。

 そして――決して自動車評論家の意見につられたわけではないでしょうが(普通の人は車雑誌など読まないので)、多くのユーザーも「よく考えたら、さすがにこの背の低さって不便だよね」と思うようになっていきました。

 そのため、今見てもなかなかカッコいいと思える4ドアハードトップ各車の人気は、日産プレセアを含め、急激にしぼんでいきました。

 そしてプレセアの場合は、そこに追い打ちをかけたのが「2代目の凡庸なデザイン」でした。

 当時は日産の社員だった和田 智氏が線を引いた初代プレセアのスタイリングモチーフは、「川の流れによって削られた自然の石の丸み」とのこと。

リアビュー(初代)
リアビュー(初代)

 その高尚なコンセプトは、デザインに関する専門知識ゼロな筆者には理解できません。

 しかし出来上がった完成品を見れば、筆者のような素人にも「造形としての根本的な良し悪し」は理屈抜きで伝わってくるものです。そういった意味で、初代プレセアは偉大なデザインでした。

 しかし2代目は――誰がどういう意図でデザインしたのかは存じませんし、いろいろな社内事情や「上からの指示」みたいなものがあっての結果だろうと理解もできますが、何の印象も残らない、「どこかで見たようなカタチの寄せ集め」でしかありませんでした。

 まぁ仮に2代目が素晴らしいフォルムとディテールであったとしても、1990年代後半にはジャンル自体が終わってしまったため、いずれにせよ日産 プレセアの命脈は途絶える運命にあったのでしょうが……。

■日産 プレセア(初代)主要諸元
・全長×全幅×全高:4395mm×1690mm×1320mm
・ホイールベース:2500mm
・車重:1090kg
・エンジン:直列4気筒DOHC、1838cc
・最高出力:110ps/6000rpm
・最大トルク:15.3kgm/4000rpm
・燃費:10.4km/L(10・15モード)
・価格:169万円(1990年式 Ct.II 4速AT)

【画像ギャラリー】流麗なデザインをじっくりと! 日産 プレセアをギャラリーでチェック!!!

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