零戦が三菱重工製であることは知られているが、その心臓部であるエンジン「栄」が中島飛行機製、つまり現SUBARU社が開発したものだということをご存じだろうか? 当時のままのその「栄」を搭載した、当時のままの零戦が今も1機だけ、米カリフォルニア上空を飛んでいる。今回は、筆者がCAで空撮取材したその「現存零戦」の概要をお伝えしたい。
文/鈴木喜生、写真/藤森 篤、SUBARU
【画像ギャラリー】零戦が搭載した「栄」とSUBARUに息づくDNA【名車の起源に名機あり】
SUBARUの源流、航空機メーカー「中島飛行機」
かつて世界に名を馳せた日本帝国海軍の「零戦」。この名戦闘機を開発したのは三菱重工業だが、そのエンジンには中島飛行機製の「栄発動機」が採用されていた。中島飛行機株式会社とは、ご存じのとおり現在のSUBARU社だ。
堀越二郎技師によって設計された零戦は、試作機の段階では三菱製のエンジン「瑞星」を搭載していたが、しかし同時期、中島飛行機がより高性能な栄発動機を完成させたため、この機体を発注した海軍の判断によって栄発動機が搭載されることになったのだ。
敗戦国である日本の兵器は、そのほとんどが戦勝国によって破棄されている。しかし、戦後80年近くが経つ現在も、オリジナルの栄発動機を搭載し、機体自体も限りなくオリジナルに近い零戦五二型が、アメリカにただ1機だけ現存しているのだ。しかもそれは飛行可能な状態が保たれている。
筆者がその機体を空撮するため、カリフォルニア州チノにある「プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館」(以下、POF)を訪れたのは2012年。ここには第二次大戦時に使用された機体が数十機、飛行可能な状態で保存されている。この五二型も同館のコレクションのひとつだ。
今も飛行可能な零戦五二型と、オリジナルの「栄発動機」
カウルが外されると、空冷星型複列14気筒の栄発動機が現われる。POFスタッフによると、キャブレターのほか、プラグと電装系パーツは新しいものに交換しているが、シリンダーやクランクケースなどの主要パーツは、当時のものをオーバーホール、あるいは多少の手を加えて使用しているという。経年を感じさせないそのコンディションの良さから、丹念に整備されていることがすぐさま理解できる。
星型複列14気筒とはつまり、放射状に配された7つのシリンダーがひとつのユニットを構成し、それを前後にふたつ、2列に組んだ空冷式エンジンのことだ。
総排気量は27.9リッター。それぞれのユニット内には7本足のコンロッドが延びている。マスター・コンロッドの軸間は280mm。ピストンひとつの重量は1.23kg、ボア130mmと巨大であり、クルマやバイクのものを見慣れた我々からすると、そのサイズは異様なまでに大きく感じられる。
2機の零戦が里帰り
オリジナル機にはない後付けのセルモーターで栄が始動すると、「バッバッバッバッ」という乾いた音が鳴り響き、排気管から白煙が噴出する。スペック的には離昇馬力1130hp/2750rpmとされているが、なんせ同機はクラシック機なため無理は禁物。スロットルの出力は離陸時80%、巡航時60%に抑えているという。
この取材で我々はさらに、ロシアの工房で新造されたという零戦二二型を2機、米国の他所から呼び寄せチャーターしていた。そして、POF所有の五二型とともに、計3機でのフライトを依頼し、空撮に臨んだのだ。大戦時、零戦は3機で「小隊」を構成して飛行したため、それを再現するための空撮取材だった。
ちなみに、この時に撮影した二二型は、回収された零戦の残骸からリバース・エンジニアリング方式によって型を起こし、ロシアで新造されたもので、うち1機の機体標識番号は「AI-112」。つまり、2017年に幕張でデモフライトを行った機体である。
また、POFが所有するオリジナルの五二型の機体標識番号は「61-120」であり、我々がこの空撮を行った翌年の2013年、埼玉県の所沢航空発祥記念館に里帰りしている。その際、エンジン始動とタキシングが行われたことを記憶されている方も多いだろう。
戦闘機から「超音速機」へ
中島飛行機とは、ここで紹介した栄発動機だけでなく、「九七式戦闘機」、「隼」、「鐘馗」、「疾風」など、数多くの名戦闘機を世に送り出した航空機メーカーである。
戦後、中島飛行機は「富士産業」と改称され、GHQによって航空機の開発・製造が禁止された。そのため自転車やスクーター、やがてバスなどを生産したが、1950年には財閥解体によって、各地の工場ごと、十数社に分割されることになった。
しかし、1952年から53年にかけて、同グループの主要5社が再合併し、航空機の生産することを目的にした「富士重工業株式会社」が発足。そのきっかけとなったのは、自衛隊の前身組織である保安隊のために、アメリカの航空機メーカー、ビーチ・エアクラフト社の単発レシプロ練習機「T-34メンター」を、ライセンス生産する権利を得たことによる。つまり富士重工業は、自動車の生産を本格化させるよりも早く、航空機の生産を再開させたのだ。
そして、「SUBARU」となった現在も、航空宇宙事業は連綿と継続されていて、旅客機の生産にも参画。ボーイング787型機において、もっとも剛性が必要な主翼中央部に、世界ではじめて炭素複合素材を使用するなど、革新的な技術を投入するなどの実績を挙げている。また、米国ヘリコプター・メーカー「BELL」社の機体をライセンス生産。さらに、今月6月16日には、JAXA、三菱重工、川崎重工、IHIなどとともに、国産の「超音速機」の研究開発において連携することが発表されている。
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