1977年に登場した5代目スカイラインの「ジャパン」。そのライバルだったセリカに1979年のマイナーチェンジの際、使われたキャッチコピーが「名ばかりのGT達は、道を開ける」だった。
「名ばかりのGT」とはセリカがDOHCエンジンを採用していたのに対し、当時SOHCエンジンの設定しかなかった5代目スカイラインを暗に挑発するもので、それが当時話題となった。
しかし、本当にスカイラインジャパンは「名ばかりのGT」だったのか? モータージャーナリストの片岡英明氏が当時を振り返る。
文/片岡英明 写真/NISSAN
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■空前のヒット作「ケンメリ」から5代目へ
クルマだけでなくレコードやTシャツまでもバカ売れした「ケンとメリー」のスカイラインは、空前のヒット作となった。わずか200台足らずの販売で生涯を終えたGT-Rもイメージアップに貢献したから、今も熱狂的なファンに愛されている。
この「ケンとメリー」からバトンを託され、1977年8月に登場したのが5代目のC210系スカイラインだ。開発責任者の櫻井眞一郎は「日本の風土が生んだ日本の名車」を目指し、「ジャパン」のニックネームを付けて送り出している。
5代目スカイラインの開発がスタートした時、排ガス規制は一気に厳しくなった。これに追い討ちをかけるように世界中がオイルショックに見舞われている。排ガス対策には多額の投資が必要だ。
また、パワーダウンしたから、高性能を売りにするスカイラインは大きな痛手をこうむった。しかもオイルショックの記憶が生々しいから燃費を向上させる必要がある。難問が山積するなかで、5代目スカイラインは船出したのだ。
■5代目C210型スカイライン「ジャパン」の特徴
エクステリアはウェッジシェイプのシャープなラインで構成され、リアフェンダーに刻まれたサーフィンラインも力強い。直列6気筒エンジンを積む主役の2000GTは、先代と同じようにホイールベースを延ばし、ロングノーズとした。
スカイラインの代名詞となりつつあった丸型テールランプも受け継いでいる。主役は2ドアハードトップと4ドアセダンだが、リアクオーターガラスをオペラウインドウにした個性的なサイドビューのワゴンとバンも設定した。
ちなみに標準ノーズの直列4気筒エンジン搭載車は、世界に通用する国際派のツーリングカーを目指し、「TI(ツーリング・インターナショナル)」を名乗っている。
パワーユニットは1595ccのL16型直列4気筒SOHCと1770ccのL18型直列4気筒SOHCだ。どちらもシングルキャブ仕様で、排ガス浄化システムのNAPSによって昭和51年排ガス規制をクリアした。
インテリアは、ソフトパッドを用いた水平基調のインパネが特徴だ。スピードメーターとタコメーターを中心に、その隣に補助メーターを並べた水平ゼロ指針メーターが新鮮だった。また、先進の快適装備と安全装備を積極的に採用したことも注目を集めている。
セミコンシールドワイパーを筆頭に、ヘッドランプクリーナーやサイドデフロスター、ELRシートベルト、シートリフター、ランバーサポート、チルトステアリング、集中ウォーニングシステム、サウンドコントロールパネルなど、今につながる装備を採用した。
主役の2000GTは改良を施し、昭和51年排ガス規制をパスしたL20型直列6気筒SOHCエンジンを搭載する。2種類のキャブ仕様に加え、GT-XとGT-Eはキャブに代えて電子制御燃料噴射装置のEGIを装着した。
トランスミッションは5速MTと4速MT、そして3速ATだ。排ガス対策でパンチが失せているので、ファイナルレシオを下げて加速のダルさを補っている。
2000GTのサスペンションは、先代と同じようにマクファーソンストラットとセミトレーリングアームの組み合わせだ。もっともスポーティな2000GT-E・Sタイプはリアにスタビライザーを装備し、ブレーキも4輪ディスクとした。
運転してみると、高回転の伸びと応答レスポンスは鈍いが、車重は1100kg台と軽量だから5速MTならそれなりに気持ちよく走ることが可能だ。フットワークとボディなどの剛性も、当時の日本車としては高いレベルにあり、コントロールしやすい。
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