ホンダを代表するミニバンのオデッセイが年内に販売終了する。
オデッセイはミニバンが商用バンのイメージが強かった時代に、サルーンのようなヒンジドアと快適な走りを持つミニバンとして登場し、その初代モデルが大ヒット。その後も背の低い独特のフォルムを持つ走りのいいミニバンとして人気を集めた。
誕生してから27年間、ミニバンの象徴として君臨したオデッセイの歴史を振りかえる。
文/片岡英明
写真/Honda、ベストカー編集部
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■「オデッセイ」誕生は1994年
6月、衝撃のニュースが自動車業界を駆け巡った。1994年秋、彗星のごとく現れ、ホンダの経営危機を救ったオデッセイが2021年をもって生産終了することが伝えられたのである。
その理由は、埼玉製作所の狭山工場を閉鎖し、生産を最新の寄居工場に集約するためだ。狭山工場から生まれたオデッセイは、ここ数年、販売が落ちていることもあり、ホンダの首脳陣は生産終了を決断した。一時期、ホンダの屋台骨を支え、親しまれたミニバンの名車が消えるのは寂しい限りだ。
1989年に始まる平成の時代、日本のファミリーカーの主役となったのはマルチパーパスビークルのミニバンだった。
1990年にマツダはV型6気筒エンジンを積むMPVを、トヨタはアンダーフロア・ミッドシップのエスティマを投入している。ともに北米市場を狙ったワイドボディのミニバンで、3ナンバー車だ。
この2車は商用の1ボックスと違って走りの質が高かったし、ワゴン専用設計だから3列目に座っても快適性が高い。後席用のドアはMPVがセダンなどと同じヒンジ式、エスティマは大開口のスライドドアだ。
快適な居住スペースのミニバンの魅力は、エスティマのヒットによって多くの人に伝わった。それから4年後の1994年秋、ホンダから 革新的なミニバンがデビューする。楽しい生活を創造する「クリエイティブムーバー」のオデッセイだ。
■背の低いミニバンの革命児が生まれた背景
ミニバンの多くは背が高い。だが、オデッセイは開放感あふれ、快適な室内空間を実現しながら全高を1645㎜に抑えた。他車と違う雰囲気で、都会の景色に似合う上質なデザインも人気となっている。
オデッセイの特徴のひとつは、5代目アコードのプラットフォームとメカニズムを用いて開発され、送り出されたことだ。だからフロアは低く抑えられ、背も低い。当然、高速走行や山岳路では安定した走りを見せ、燃費も悪くなかった。
背は低くてもキャビンは広く、快適だ。しかもパッケージングに工夫を凝らし、後列にいくほど着座位置と床が高くなるシアターフロアだから見晴らしがいい。とくにパーソナルジェットをイメージした2列目キャプテンシートの6人乗り仕様は優雅な味わいがある。
GPSを用いた進歩的なナビゲーションシステムの採用も注目を集めた。
短いフードの中に収めているのは、アコードから譲り受けた2.2Lの直列4気筒SOHC4バルブエンジンだ。トランスミッションはプロスマテックタイプIIと呼ぶコラムシフトの電子制御4速ATを組み合わせている。
駆動方式は前輪駆動の2WDに加え、デュアルポンプ式リアルタイム4WDを設定した。サスペンションも高度な設計だ。1990年代、ミニバンのリアサスペンションはリジッドアクスルが多かった。そんな時代にオデッセイは、スポーツモデルと同じ高級なダブルウイッシュボーンを4輪に配したのである。
スタイリッシュで走りがワゴンのように冴えていたオデッセイは、発売されるや大ヒットを飛ばした。狭山工場の生産ラインは乗用車用に設計されている。だから背の高いミニバンを生み出すことは不可能だ。
オデッセイは設備投資を抑えるために乗用車の生産ラインを使わざるを得なかった。だから全高を1700㎜以下に抑えたのだが、怪我の功名だ。首脳陣の予想をいい意味で裏切ってオデッセイはバカ売れしたのである。
3ナンバー車の王者だったクラウンを首位から引きずり下ろし、普通車のナンバー1の座を手に入れた。
勢いづいたホンダは1996年にハイルーフ(サンシャインルーフ)車を加え、オートキャンプファンのためにポップアップルーフを採用したフィールドデッキも送り出している。1997年8月のマイナーチェンジでは2.2Lエンジンを2.3LのVTECとし、10月には3LのV型6気筒VTECエンジンを積むプレステージを投入した。
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