歴代7代目となるZが、2021年8月18日に北米にて発表となった。日本向けの新型フェアレディZは、今冬の登場予定だという。
現行であるZ34が、歴代で最長の13年間、モデルチェンジから遠ざかっていたので、これが最後のZになるのでは、と誰もが危惧していたと思う(筆者は、モデル消滅は避けられないと思っていた)。そこに、2020年5月、新型Zの存在がアナウンスされた。1年強経ったいまも、あのときの高揚感は忘れられない。
日産がZをつくり続けることには、単にスポーツカーをつくるということに留まらない意義がある。歴代Zを振り返りつつ、フェアレディZが果たしてきた役割について、考えていく。
文:吉川賢一
写真:NISSAN
誰でも買えるスポーツカーを!!
●初代(S30型、1969~1978) 生産数:約48万台
Zの誕生は、日本が高度成長期の真っ只中であった1969年、きっかけは北米市場だった。当時、北米の若者たちは皆、スポーツカーにあこがれを抱いてはいたが、ポルシェやジャガーといった欧州のスポーツモデルは価格が高く、容易に手に入れることができるものではなかった。
そこに目を付け、「3万ドル以下で誰でも買えるスポーツカーを作ろう」という意気込みで、北米日産が企画したのが「Z」のはじまりだ。
ロングノーズかつショートデッキのスタイリッシュなボディ、逆スラントノーズのフロント周り、直列6気筒エンジン、フロントミッドシップのパッケージングなど、当時の欧州スポーツカーの良いところを寄せ集めた、ともいえるが、古典的なスポーツカーに倣ったデザインと、スポーツカーとしてはあり得ないほど廉価であったことが支持され、北米を中心に大ヒットした。
コストへの制約が非常に厳しい中、知恵を絞って生み出された、奇跡の一台が初代フェアレディZだった。
●2代目(S130型、1978~1983) 生産数:約42万台
10年間続いた初代Zに続き、1978年に誕生したのが2代目のS130だ。2代目Zでは、初代のロングノーズ&ショートデッキを継承しつつ、ボディサイズを拡大。全長は4115mmから4420mmへ、全幅は1630mmから1690mmへと大きくなり、居住性は格段に向上した(※2シーターのサイズ比較)。
日本市場向けとしては、2.0リッター直列6気筒OHCエンジンの「Z」 と、2.8リッターの「280Z」があった。280Zは、西部警察に登場した特殊車両「SUPER Z」のベース車としても有名。ガルウイングドア付のボディに、数々の特殊装備を満載したマシンは、当時話題となった。
製造期間は1978年から1983年までの僅か6年間であったが、初代と変わらぬコンセプトで登場した2代目Zは、3代目への架け橋として役割を全うした一台だ。
●3代目(Z31型、1983~1989) 生産数:約36万台
初代Zからの累計生産台数が100万台を達成した1983年、3代目となるZ31がデビューした。引き続き、ロングノーズ・ショートデッキのコンセプトを引き継いだエクステリアデザインとなっていたが、消灯時でもレンズの一部が見えるパラレルライジングヘッドランプを採用するなど、大きく変化したモデルでもある。
エンジンは従来の直列6気筒(L 型)から、新開発のV型6気筒エンジン(VG型)を搭載してデビューしたが、1985年10月のマイナーチェンジで、直列6気筒(RB20DET型の2.0リッター直6ターボ)エンジンを復活させている。
この3代目Zの時代は、日産の経営が苦しくなったころでもあり、1986年には、日産の経営は赤字に転落する。Z31は、日産が、経営に苦しみながらもファンへ夢を与え続けた、偉大な一台だ。
しかし、この経営不振によって、日産の中で901活動(1990年代までに運動性能で世界一になり、技術の日産復活させる)が起こり、次の世代のZを開発する原動力となっている。
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