歴史的遺産と呼ぶべき遺構がなくなろうとしている。第二次大戦前の1936年(昭和11年)。日本でまだ自動車が高嶺の花だった時代に、都心から程近い神奈川県川崎市に常設サーキット「多摩川スピードウェイ」が存在したことはご存知だろうか。
当時、ただでさえ珍しい自動車が集い、大勢の観客が詰め寄せた聖地である。世界的に貴重なこの遺構だが、それがなくなる日が刻一刻と近づいている。
※本稿は2021年8月のものです
文/ベストカー編集部 写真/多摩川スピードウェイの会 多摩川スピードウェイの会 航空写真出典/国土地理院
初出:『ベストカー』2021年9月26日号
■日本自動車黎明期の遺構がなぜなくなろうとしているのか?
現在、国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所では令和元年(2019)に発生した台風19号の影響により多摩川が氾濫、周辺に甚大な被害が出たことを受け、治水対策として「多摩川緊急治水対策プロジェクト」が始動している。その計画のなかには新たな堤防強化工事も含まれている。
多摩川スピードウェイの観客席遺構が残る神奈川県川崎市中原区河川敷もその工事を行うとされており、計画どおり進んだ場合、観客席遺構は完全に取り壊され、新たな堤防が作られることになるという。
それに対し、多摩川スピードウェイの跡地保存と日本モータースポーツ黎明期の研究・情報発信を行う任意団体「多摩川スピードウェイの会」は、工事の着工が2021年10月に始まるにもかかわらず、同会への通達が7月2日に初めて来た点に当局への不信感を抱いているという。
さらに同会は、「川崎市の行政ビジョンで保存が明言されていることに鑑み、現在提示されている一方的な取り壊しではなく、治水と保全の両立を実現すべく、工事見直しの申し入れを行いました。
部分的な移設などの妥協案も提示しましたが、担当官は決定事項を伝えるのみで、保全に向けたほかの工法については検討、協議の意志さえ示しません」という。
河川事務所からすれば観客席遺構はあくまで堤防のひとつとして見ており、保全について関心を示していない姿勢が垣間見える。
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