日産の超名門セダン!! ローレルの伝統と消滅の「必然」

日本を代表する高級セダンがなぜ?日産 ローレルが消えた背景【偉大な生産終了車】

 毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。

 時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。

 しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。

 訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回は日産 ローレル(1968-2002)をご紹介します。

文/伊達軍曹 写真/NISSAN

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■日本初の「ハイオーナーカー」として誕生した高級セダン ローレル

 ブルーバードよりは上級で、しかし法人需要の多いセドリックほど大柄で豪華なわけではないという立ち位置。そして、当時は一般的だったライトバンなどの商用車をシリーズ内にラインナップしない日本初の「ハイオーナーカー」として誕生した。

 それから30年以上にわたって代を重ねたものの、日本社会の構造あるいは人々のライフスタイルが変化したことにより、結局は生産終了とならざるを得なかった、4ドアセダンまたはハードトップを基本とするアッパーミドル。

 それが、日産 ローレルです。

 初代日産 ローレルが発売されたのは1968年のこと。人気車種だった「ブルーバード」よりは上級で、しかし「セドリック」とは立場が異なる“ハイオーナーカー”として企画されました。

初代日産 ローレル。ブルーバードの4095×1560×1420mm(3代目)、セドリックの4680×1690×1455mmに対して、4350mm×1605mm×1405mmのというサイズを取った(※いずれも全長×全幅×全高)

 前/マクファーソンストラット、後/セミトレーリングアームとなる4輪独立懸架と、直4 SOHCエンジンという組み合わせは当時のBMW各車と同じで、その設計は非常に先進的なものでした。

 当初のボディタイプは4ドアセダンのみでしたが、1970年には日産初となるピラーレスハードトップの2ドアハードトップを追加しています。

 1972年にはフルモデルチェンジが実施され、2代目の「C130型」へと進化。

 ボディタイプは引き続き4ドアセダンと2ドアハードトップがラインナップされましたが、2代目以降はスカイラインと基本設計が共通化されることになります。

 2代目C130型のデザインテーマは「ノーブルでダイナミックな彫刻美」。彫りが深いデザインはなかなか魅力的で、特に2ドアハードトップは大人気となりました。

ピニンファリーナデザインによる欧州車調のデザインを採用した2代目ローレル(写真はハードトップ)

 リアバンパーにビルトインされたリアコンビランプが特徴の一つとなる2ドアハードトップは、ボディ外板に燈火類が無い特徴的なリアスタイルから「ブタケツ」という愛称がつけられ、一般層からも、そして当時は「街道レーサー」と呼ばれることも多かった走り屋勢からも人気を博した一台でした。

 C130型はエンジンバリエーションも豊富で、初代の「G18型」「G20型」「G20型SUツインキャブ」に加えて「L20型」と「L20型ツインキャブ」も追加でラインナップ。

 このL20型エンジンは、当時のセドリックやスカイライン、フェアレディZなどに搭載されていたL型エンジンに改良を加えたものです。

L20型エンジン

 約5年間販売された2代目C130型ローレルはシリーズ最高の累計販売台数となる約35万台を売り、1977年初めまで販売されました。

 その後は、より重厚なデザインとなった3代目C230型(1977~1980年)と、「アウトバーンの旋風」という広告コピーを伴って登場した欧州車調デザインの4代目C31型(1980~1984年)へとモデルチェンジを続行。

 しかし欧州調の4代目が若干苦戦したせいか、5代目のC32型(1984~1988年)は一転して押し出し感の強いアメリカ車調のデザインに。

 このC32型には世界初の電動格納式ドアミラーや、車速感知式オートドアロックなど、数々の新機構が採用されました。

世界で初めて採用された、運転席に座ったままインストルパネルのミラー操作ボタンを押すだけで左右のドアミラーを同時に出し入れできる「電動格納式カラードドアミラー」

 バブル景気真っただ中の1989年1月に発売された6代目C33型(1989~1993年)のボディタイプは4ドアハードトップのみとなり、リアにはマルチリンク式サスペンションを採用。

 また一部グレードに4輪操舵システム「HICAS-II」を搭載したことでも話題になりました。

 バブルの後押しもあり、またデザイン性の良さもあってか、6代目C33型の累計販売台数は約34万台と、歴代ローレルのなかでは2番目の数字を記録することになります。

 しかし続いて登場した7代目C34型(1993~1997年)は、居住性を大幅に向上させたもののセールスは振るわず、累計販売台数は約17万台にとどまりました。

 そして結果的に最後のローレルとなった8代目C35型(1997~2003年)も、曲線基調の流麗なフォルムへ変身したものの依然として販売は振るわず、結果として2002年12月に生産を終了。

 翌2003年1月には販売のほうも終了となり、35年にわたる日産 ローレルの歴史に終止符が打たれることになりました。

 ちなみに最終8代目の累計販売台数は、約10万8000台にとどまっています。

■ローレル消滅のウラにある日本の所得の構造

 1968年当時としては先進的なメカニズムと、「ハイオーナーカー」という当時としては斬新なコンセプトで登場し、その後30年以上にわたって作り続けられた日産 ローレルが、2003年に「日産 ティアナ」に統合される形で販売終了となった理由。

 それは、直接的には「排ガス強化規制の実施に伴い、搭載していた直列6気筒エンジンを規制対応させずに廃止する」ことを日産が決めたから――ということになります。

 しかしもっと根本的なことを言うのであれば、日本人の「アッパーミドル」すなわち「中の上」という概念が1990年代の末頃には崩壊あるいは細分化し、「中の上のセダン(4ドアハードトップ)」というものが成り立ちにくくなった――というのが、日産 ローレルというブランドが消滅した理由ということになるでしょう。

 1960年代から80年代頃、いや90年代の初め頃までは、日本人が「中の上の生活」と聞いて脳裏に浮かぶ生活は――「みんな同じだった」とは言いませんが――ある程度は似ていました。

 狭いかもしれないけど庭付きの戸建て住宅に住み、肉体を酷使はしない職業に就く父親と専業主婦の母親で、ささやかかもしれないけど幸せな家庭を築く。そして、セドリックやクラウンはちょっと手が出ないけど、ブルーバードとかコロナとかよりは上等なセダンをガレージに置く――みたいな感じです。

 人によってもちろん細かな違いはありますが、おおむねこのような「手が届きそうな理想像」が多くの日本人に共有されていたことで、日産 ローレルは当初ヒットし、ローレルよりほんの少々遅れて登場したトヨタ マークII――コロナとクラウンの中間に位置するトヨタ車――も、日産 ローレル以上に大ヒットしました。

 しかしバブルの崩壊と、その後の「失われた20年」により、中間層の一部はアッパーミドルクラスのセダンを買うどころの騒ぎではなくなりました。

 また経済的な問題はさほどなかった人も、1990年代の途中頃から顕著になってきた「価値観やライフスタイルの細分化」により、アッパーミドルの4ドアセダン(ハードトップ)ではない車――当時で言うRVやミニバンなどを選ぶケースが増えてきました。

 さらにはアッパーミドルのセダンを選ぶ場合でも、高度経済成長期に顕著だった「よりゴージャスなモノが欲しい!」という感覚ではなく、例えば日産 ティアナに代表される「さりげなく上質な北欧スタイル」みたいなモノを好む人も増えてきました。

 そうなると、もちろんそれで「アッパーミドルのセダン」というジャンルが消滅するわけではないのですが、「何種類もはいらない」ということにはなります。

 物事のそういった流れの結果として、FRレイアウトのローレルとFFレイアウトの3代目セフィーロは整理され、2003年からの「ティアナ」に一本化されることになりました。

 そしてその翌年には、宿敵だったトヨタ マークIIも消滅したわけです。

 まぁマークIIは「マークX」に名前を変えて2019年まで存続しましたが、いずれにせよ日産 ローレルの消滅は、日本の中間層の消滅あるいは細分化ゆえの「必然」でした。

■日産 ローレル(8代目) 主要諸元
・全長×全幅×全高:4755mm×1730mm×1400mm
・ホイールベース:2720mm
・車重:1410kg
・エンジン:直列6気筒DOHC、1998cc
・最高出力:155ps/6400rpm
・最大トルク:19.0kgm/4400rpm
・燃費:11.4km/L(10・18モード)
・価格:234万円(2001年式メダリストG)

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