デビュー直後はトップ10入り! 売れた理由は価格戦略と三菱ブランドにあった
結果シャリオグランディスは、1998年は登録車の販売台数トップ10に入る6万2972台(この年の3月には約1万1000台を販売)、1999年も販売台数トップ20に入る3万9451台を売るというヒット車となったのだ。その理由は大きく3つある。
ひとつは、当時のミニバンは車種が少なく、一定のレベルであればどのクルマも売れたという時代であった。その中でシャリオグランディスは堅実なモデルでだったのだ。
ふたつ目にブランドイメージである。当時の三菱自動車はWRCのランエボ、パリダカでのパジェロの活躍などにより絶頂期であったのだ。
そして最後は、価格設定にある。シャリオグランディスは実質的なベーシックグレードとなるMX(212万5000円)、最上級のスーパーエクシード(268万8000円)と、装備内容や車格を考えればリーズナブルだったのだ。
販売台数は急降下……テコ入れも失速! エスティマなどライバルモデルが台頭へ
しかし、シャリオグランディスの販売台数は2000年に2万2820台、2001年には1万472台、そして2002年に3724台と急降下してしまった。
車格は少し異なるが、1999年12月にホンダ オデッセイ、2000年1月にトヨタ エスティマがそれぞれフルモデルチェンジしたのだ。どちらも後発だけに完成度は高く、価格もシャリオグランディスと互角に戦えるプライスであった。
そして同時期に三菱自動車から、シャリオグランディスの一車格下となるディオンが登場。目立つところのなかったディオンながら、価格は159万8000円~184万8000円と安く、2000年は販売台数21位となる3万8000台を販売。シャリオグランディスがディオンに食われてしまったのだ。
さらに2000年7月にシャリオグランディスを含む三菱自動車のリコール隠しが明らかになり、三菱自動車のブランドイメージは急降下。シャリオグランディスには悪いことが重なったのもあり販売に急ブレーキが掛かってしまったのだ。
シャリオグランディスは2001年にFF車で204万円というお買い得グレードのVIEや3リッターV6を搭載したロイヤルを追加するも、浮上せず、2003年にオデッセイの直接的なライバルとなるグランディスに移行。しかし、グランディスも成功せず、2009年にグランディスは日本では絶版となった。
デリカだけでイイのか!? 三菱のミニバン拡充に期待
現在三菱自動車のラインナップにミニバンがデリカD:5だけというのは、価格帯や選択肢といった意味を含め寂しい状態だ。
現状を考えると、東南アジアで人気となっているマルチパーパスカーのエキスパンダーはぜひ日本にも欲しいモデルだ。シャリオグランディスを思い出すと、エキスパンダーの導入を含め、かつてはフルライナップが特徴だった三菱自動車の黄金期復活を、三菱自動車が登り調子な今だけに期待したいところだ。
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