■毎日磨く、形見のロレックスを胸に
――国さんの功績はドライバーとしてだけではなく、これだけモータースポーツを日本に広めたという功績もあると思います。土屋さんが国さんから受けたものを、これからモータースポーツに還元していきたいという思いはありますか。
「国さんが16歳の僕にしてくれたようなことって、その子供は本当に忘れない。邪険にされたら大人になっても嫌いなままですよね。だから、国さんの教えとして『大人よりも子供のファンを大事にする』というのは、ずっと守ってる。
『僕も大人になったらかっこいいクルマに乗りたい』って思ってもらえるように、まずはピットウォークで子どもを大事にする。それはもう、国さんが僕をファンにしてくれたのと同じようにしてますよ。
目先のお金を出してくれる人とかに行きがちな人もいると思うけど、国さんの考え方って違うんだよね。子供たちが大きくなって、それでレースやオートバックスに来てくれればいいでしょ、っていう考え方。そのためには、この子たちにクルマ好きになってもらわなきゃいけないんだよって。
一番最初にあの人が僕に言ったのは、『圭ちゃんはコンポとカーステレオ聴く?』って言うから『聴きますよ!』『何使ってんの?』『パイオニアです』『それがだめなんだよ』って言われたのね(笑)。
『僕たちのスポンサーはケンウッドだよ。僕たちがケンウッド使わないと、ファンも使ってくれないよ』って。それからすぐ僕もケンウッドを買いましたよ。
国さんって本当に嘘が嫌いなんだよね。ケンウッドがスポンサーだけど、使ってるコンポは違います、っていうのはだめなの。スポンサーがいるってことは、その人たちのおかげでレースできる、生活できるってことなんだよって。
それからもう、毎年ケンウッドを買いましたよ。商品を買ってくれる向こう側のファンを見なきゃいけないって考え方だったんですよね、国さんは」
――最後の質問になりますが、土屋さんにとって高橋国光さんとはどういう存在ですか?
「国さんがいなかったら、多分僕は日本のレース界に出てくることはなくて、クルマ好きの中だけの土屋圭市で終わっていたと思う。あの人が僕を世界に連れて行ってくれて、僕は実力を発揮することができた。あの人がいなかったら、本当にその辺のドライバー。土屋って誰? で終わっていたと思う」
――高橋国光さんが亡くなった日、そしてお別れなどについて教えてください。
「3月16日の1時15分に、国さんの面倒見てくれた人とチーム国光の監督から国さんが12時50分に亡くなりました、って連絡が来て。頭ん中、真っ白になった。通夜も告別式も身内だけでやりたいということだったから、参列もできなかった。
最期に立ち会えずに『なんで、俺らも家族だろ、30年も一緒にいて』という思いもあったけどね。コロナのご時世だし、ご家族の意向だったから、それはしょうがないですよ。
初七日が過ぎてから、国さんのお兄さんから『土屋は、ずっとうちの弟のこと表舞台に立たせてくれたよな』って連絡がきて、それで……国さんの形見だってこれを置いていってくれたんですね」
そういうと、土屋さんはおもむろに腕時計を外して、机に置いた。金色のその時計は、まるで国さんの栄光の歴史を表すかのようにぴかぴかに輝いている。
「これは、国さんがずっと40年間使ってた、ロレックスなんですけれども。これを国さんのお兄さんからいただいてね。国さんの形見だと……。これはもうほんと、嬉しい、ですよね」
そこで言葉を詰まらせた土屋さんの目には、涙が滲んでいた。
「まずいっすね、やばいな。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」
「ずっと国さんがつけているの見てましたからね。ル・マンの時もこれつけてましたよね。毎日磨いていますよ。神棚に置いて。生涯のお守りです」
永遠の憧れのレーシングドライバーであり、一緒に戦い抜いた仲間であり、そして気持ちの通じ合う家族だった、土屋さんと国さんの関係。今もその思いは、その時計とともに、そして土屋さんという新たなレジェンドドライバーの中に永遠に生き続けていくのだろう。
【画像ギャラリー】レーシングドライバー土屋圭市の育ての親!! 「俺は高橋国光になる!」土屋圭市インタビュー(12枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方