■バブル期の風が生み出した良心
今の若者にこんな話をしても、「カップルがクルマのなかで、本当にそんなことをするんですか?」と、怪訝な顔をするだろう。
S-MXのターゲットは、主に20代だったが、今思えば、そこに限定しすぎる必要はなかったし、それがS-MXが一代かぎりで消える運命を決めたように思えるが、とにもかくにも、S-MXはそのコンセプトで発進した。
背景には、1980年代からバブル期にかけての、若者を取り巻く強烈な状況があった。
1980年代の日本の自動車業界は、デートカーの時代だったと言える。ソアラに始まり、2代目プレリュード、S13シルビアなど、名だたるスポーツクーペが、デートカーとしてもてはやされた。
当時の若者はこぞってクルマ好きだったし、誰もが速いクルマに憧れていた。その裏には、人類の本能であるスピードへの情熱だけでなく、「周囲に差をつけたい!」という強烈な願望があった。
男も女も、乗るクルマのランクによって自分たちのランクも決定されるという意識を持っていたから、男は少しでも速い(あるいは速そうなカッコの)クルマを欲しがったし、女は少しでも速そうなクルマに乗っている男を彼氏にしたがった。
その背景には、バブルへ向けてバクシンする好調な日本経済があった。誰もがもっと豊かになろうと強欲に競い合っていたが、若者にとって、最大の果実は異性。そのためには、いいクルマが必需品だったのだ。
■実在した使い勝手ではあった
ところが、いいクルマを手に入れて、いい女を乗せることに成功しても、シティホテルもラブホテルも満室だった(本当)。当時は日本中、どこへ行っても大混雑だったのである。よって若者たちは、カーセックスをすることになる。当時、カーセックスはまったく恥ずかしいことではなく、ステイタスですらあった。
バブル期、夜になると、駒沢公園沿いの駒沢通りにはずらりとデートカーが並び、ほぼすべての車内で男女がいちゃつき、クルマが揺れていた。今では信じられないが、本当の話である。
これは世界的に見て、突出して異常な現象とは言えない。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年公開)には、カーセックスのシーンが何度か登場するし、宗教の関係でラブホのないイタリアでも、若者たちはこぞってカーセックスに励んでいた。
当時のイタリアの若者は、「フィアットパンダに、いつも新聞紙とセロテープを積んでおいて、人のいないところにクルマを止めて、窓に新聞紙を貼って事に及んでいた」とのことである。フィアットパンダなら天井が高いからいいが、狭いスポーツクーペのなかで励むのは大変だ。
ホンダとしては、もう若者にそんな苦労はさせたくない! もっと広々とした空間を提供したい! 若者のスポーツクーペ偏愛が消滅した今ならそれが実現できる! という純粋な思いだったのだろう。
■スイートスポットの狭さが命取りに
ただし、S-MXは走りもスポーティに振っていた。全高は高いけれど、サスペンションを固めてコーナーではロールが抑えられていたし、出足がよく感じるように、アクセルセッティングもやや過激だった。そのあたりは、「やっぱり若者はスポーティな走りが好きなはず」という、ホンダらしいこだわりだった。
が、ホンダはあまりにも親切すぎたし、時代の流れも速すぎた。
少し前のスポーツカー世代にすれば、ミニバンタイプというだけで「邪道!」だったし、S-MXが登場した1996年は、すでにバブル崩壊から数年を経て、豊かになる競争は終わっていた。若者がガツガツとカーセックスしたがる風潮も、急速に萎みつつあったのだ。
S-MXが実際に「走るラブホ」として使われた例は、あまり多くはないだろう。それより2代目、3代目プレリュードのほうが、はるかに多かったのではないか。
つまり、S-MXはあまりにもスイートスポットの狭い、時代のあだ花だった。しかし、そこまで具体的に踏み込んだクルマ作りをしたホンダには、かぎりない敬意を表したい。私は今でも、S-MXのデザインはシンプルで美しかったと思っている。
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