2022年5月20日に行われた「SAKURA」および「eKクロスEV」のオフライン式において、日産の内田社長は「両車は日本における電気自動車のゲームチェンジャーになると確信している」と述べた。
両モデルが真のゲームチェンジャーたるかは、今後の評価を待つ必要があるが、すでにベストカーWebがお伝えしてきている通り、その評価は「並の軽自動車」のものではないことは明白、と言っていいだろう。
そこで今回ここでは、これまでの日本自動車史において「ゲームチェンジャー」となったモデルを自動車評論家3名が選出!!
誰もが納得の王道モデルもあれば、意外なモデルも登場する。だが、それらは確かに日本クルマ史に偉大な足跡を残したのだ。ぜひぜひご精読いただきたい。
※本稿は2022年6月のものです
文/国沢光宏、片岡英明、竹岡圭、写真/ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2022年7月10日号
■国沢光宏が選出する日本車ゲームチェンジャーたち
「1980年代のセダン」で選んだセルシオ(トヨタ)は、さらにワクを広げて「日本車のゲームチェンジャー」としてよいと思う。
1980年代の日本はアメリカとの貿易戦争で苦しむ。出した結論が「輸出台数制限をされるなら1台あたりの利益を確保できる高額車にしよう」というもの。
それまで安くてよい乗用車作りを得意としてきた日本車ながら、欧州車のような品質を目指した。見事に成功し、日本車全体のイメージを変えたのが初代セルシオでした。
同じ1980年代のワゴンに選んだレガシィ(スバル)だけれど、説明するまでもなく2005年くらいまで続くステーションワゴン人気+フルタイム4WDを創り出した。
副次的に1990年代まで日本人にまったく評価されなかった5ドアHBの利便性を啓蒙し、さらにはグランドワゴンという今や世界規模で人気のクロスオーバーのベースも創っている。
元祖レガシィのツーリングワゴンこそ絶版状態ながら、紛うかたなきゲームチェンジャーであります。
●痛快スポーツ&革新的エコカーが登場した1990年代
1995年に登場したインテグラ(ホンダ)のタイプRは、ガチンコFFスポーツの元祖である。それ以前にもシビックSiR(ホンダ)やゴルフGTI(VW)などFFスポーツは存在したものの、後輪駆動車と戦って勝てるような存在じゃなかった。
されどインテグラ・タイプRときたら、クルマ好き全員が「凄い!」とウナるポテンシャルをFFで実現したのである。シビック・タイプRやメガーヌR.S.と言った現代武闘派FFスポーツを生み出すキッカケになったことは間違いない。
1997年デビューのプリウス(トヨタ)が世界に与えたインパクトたるや絶大だった。エンジンをモーターでサポートし、エネルギー回生まで行うというコンセプトを具現化したのは素晴らしい!
セルシオが日本車を変えたとすれば、プリウスは世界の自動車産業のゲームチェンジャーといってよい。
同じ意味で2010年のリーフ(日産)も、それまで難しいと言われてきたリチウムイオン電池の量販化を実現させた功績は大(i-MiEV(三菱)も含む)。日本が世界を変えた。
●もう1台の環境系変革車。スポーツ系は当然あのクルマ
環境技術ゲームチェンジャーとしてもう1台挙げておきたい。日本じゃあまり評価されていないけれど、アウトランダーPHEV(三菱)です。
ハイブリッド技術と電気自動車の技術を昇華させ、おそらくカーボンニュートラルまで最も有効に使われるだろうPHVとした。
海外メーカーもマネしてPHVを作ったけれど燃費&実用性という点でアウトランダーPHEVを超えられなかった。三菱自動車という決して大きくない自動車メーカー製だったため目立たず。
2000年代は自動車産業に限らず日本全体でゲームチェンジャーの出現は少なかったように思う。そんななかで4代目レガシィ(スバル)とR35 GT-R(日産)を挙げておきたい。
4代目レガシィはステーションワゴンブームが終わっていた2003年にデビュー。
売れないだろうという声も多かったなか、完成度の高さで日本の自動車好きの気持ちを掴んだ。こんなクルマを今作ったらゲームチェンジャーになると思う。
GT-Rの凄さについちゃ、今さら説明するまでもありませんね。
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