アメリカ市場で大ヒットの初代Z マツダのロータリー車は欧州から
同じく、70年代のアメリカで大きく羽ばたいた日本車といえば、日産「フェアレディZ」がある。
直近では、その初代S30を彷彿するデザインや、懐の深い走り味を感じ取れるRZ34が世に出ているが、RZ34販売総数の7割~8割がアメリカ向けになるという認識を、日産は持っている。
それは、初代S30が70年代当時、アメリカ人にとっていかに大きなインパクトがあったかという証明でもあろう。
先に初代シビックの説明で触れたように、70年代のアメリカ市場全体が大きな転換期となるなかで、単純に燃費が良いというだけではなく、誰もが気軽に楽しめるスポーツカーとして、当時のアメ車や欧州車と比べて価格もリーズナブルだったS30は爆発的なヒットとなった。
このように、日本から見て海外市場とは、多くのメーカーにとって当時の世界最大市場であるアメリカを強く意識しており、グローバルに見て小型大衆車の領域で事業基盤を築いていった日本車の活躍の舞台は、主にアメリカだったといえる。
いっぽうで、技術の原点を欧州に持ち、欧州での量産車の普及促進から、アメリカ市場へと活躍の場を広げていったのが、マツダのロータリー車だ。
1961年、当時の東洋工業(現在のマツダ)はドイツのNSU社とバンケル社とロータリーエンジンの技術提携を正式発表した。
当時、ローターリーエンジンは”夢のエンジン”と称されたが、量産化までには克服すべきさまざまな技術的なハードルがあった。
晴れて、1967年に「ロータリースポーツ」が発売され、1968年には「フェミリアロータリークーペ」が登場する。
当時の東洋工業は、ロータリーエンジンの認知度を広めるため、コスモスポーツでドイツにて開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間レースに参戦したり、ファミリアロータリークーぺでスパ・フランコルシャン24時間レースに挑戦した。その後、「RX-7」でアメリカのデイトナ24時間レース、そして70年代からさまざまなチーム形態で挑戦し続けてきたルマン24時間レースではついに1991年、「787B」による総合優勝を成し遂げる。
直近で、ロータリーエンジンはEV(電気自動車)のレンジエクステンダー向けの発電機として活躍の場を持つ。
海外へ進出して活躍が期待できる日本車とは?
このほかにも、世界に向けた挑戦を繰り広げてきた日本車は数多い。近年の日本車は、グローバル展開を基本として、国や地域での社会実情や市場性を俯瞰して開発されるため、広義において、日本発での世界に挑戦という括りでの話にはなりにくいように思う。
また、日系各メーカーは、来るEV化時代を念頭にモデルライナップの集約化も進めており、日本市場専用車がほとんどなくなってきているのが実情だ。
そうしたなかで、日本市場専用車の筆頭はやはり、軽自動車であろう。日本市場に特化した車両規定ゆえに、日本の匠の技を集約した、世界でもまれなマイクロカー文化を実現している。
そんな軽自動車を日本の道路事情に近い欧州や東南アジアなどで展開してはどうか、という話はずいぶん前から自動車産業界で話題に出てくる。
実際のところ、軽をそのままではなく、現地化する必要があるという判断から、スズキはインドで、またダイハツは東南アジアで、軽でも使えるプラットフォームを活用するなど、実質的な軽自動車技術の海外展開をしているといえるだろう。
今後、本格的な電動化、そしてEV化を迎える日本車がどのようにグローバルで挑戦するのか、その動向を期待こめて見守っていきたい。
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