クルマ好きにとって日本車の話題作、といえば日産フェアレディZの再登場、ではあるまいか。
2022年6月発売のそれは数えて第七代目にあたるのだが、クルマ好きにとって、そのモデルのルーツというのはとても気になるものである。つまり初代フェアレディZ、それは趣味的には「特別アイテム」ということにもなる。
特にこんにちまでつづく人気モデルとなればなおさら。どんな姿で送り出され、どんな変遷を辿って移り変わっていったか。最初のフェアレディZ、S30系の10年を振り返ってみることにしよう。
文/いのうえ・こーいち、写真/いのうえ・こーいち、NISSAN
■硬派のオープンからスマートなクーペに
それは1969年10月18日のこと、この日はわが国産車における、大きなターニング・ポイントのひとつであった、と歴史を振り返って実感する。この日、日産フェアレディZが発表されたのだ。
それまで生産されていたフェアレディ2000はわが国でもっとも「硬派」なスポーツカーとして知られていた。1962年にフェアレディ1500として登場以来、年々ハードの度合いをアップさせて、ついには2.0L、145PS、最高速度205km/hというわが国を代表する高性能スポーツに仕立てられていたのだ。
それが、エレガントなクーペに変身してしまったのだから。ドドドッとボディを振わせて豪快に走っていたオープンが、乗用車と同じ6気筒エンジンを搭載して、優雅に走ることになった。それは、まさしく「時代の移り変わり」をも反影していたのだった。
つまり、安全基準等のさまざまな規制が押し寄せてきていた時代の尖兵。加えて人々の好みも変化しつつあった。フェアレディZの登場と前後して「モーレツからビューティフルへ」というコピイが流行した時代である。
人気のオープンからの劇的変身に戸惑いを感じたクルマ好きもいたというが、登場したフェアレディZはそういう人たちをも無口にさせてしまうほどの出来栄えであった。端正で、のちのちのモデルと較べてもひと際エレガントな印象を与えるスタイリングは、なにをさておいても最大の魅力であった。
■全長4115mmの2座クーペ
すべてが新たに設計されたフェアレディZは、ホイールベース2305mm、モノコック・シャシー全長4115mmのクーペ。特徴的なのは、この決して小さくないボディに潔く2座にしていた、ということ。のちのち登場してくる「2+2」と較べてみれば、最初のモデルがいかに純粋であったか、ということが解る。
S30系と呼ばれたフェアレディZは、直列6気筒SOHC1998cc、L20型エンジンを搭載。このエンジンは1965年のセドリック「スペシャル6」に採用されたのにはじまり、グロリア、スカイラインなど幅広く上級乗用車に使われていた、いわば日産の汎用エンジンのひとつ。
それを130PSにチューニングアップして搭載したフェアレディZ、Z-L、それとは別にスカイラインGT-R用のS20型エンジンのZ432がラインアップされた。Z432は価格もフェアレディZの倍以上の特別モデルで、全体のイメージアップ、広告塔の役割が大きかった。
初期のフェアレディZの変遷は、先述の規制への対応、でもあった。1970年には、レギュラー・ガソリン仕様とZ-Lに3段のAT仕様が追加。翌71年にはL24型2393cc、150PSエンジン搭載のフェアレディ240Zシリーズ(HS30系)が加えられる。
話が前後するけれど、このフェアレディZのメイン・マーケットは米国で、最初から2.4Lエンジンが与えられていた輸出モデルを国内販売したような240Zだったが、240Z、240Z-Lに加えて、国内専用モデルの240Z-Gが注目を集めた。
それは、当時流行であったオーヴァフェンダを付け、フロントノーズを特別なものとしたもので、Zシリーズのもうひとつのイメージリーダーとなったのである。
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