超モーレツ勤務とリストラ戦略は正しいのか? C・ゴーンとE・マスクの手法の共通点と相違点

超モーレツ勤務とリストラ戦略は正しいのか? C・ゴーンとE・マスクの手法の共通点と相違点

 米国に本社を置く、ツイッター社の大規模なリストラをはじめとした改革が注目を集めている。2022年10月にCEOに就任したイーロン・マスク氏による改革だ。

 イーロン・マスク氏といえば、ご存じのとおり、米国の電気自動車メーカー「テスラ」のCEOでもあるが(「スペースX」のCEOでもある)、自動車メーカーでのリストラといえば、2001年に日産のCEOに就任したカルロス・ゴーン(被告人ではあるが、本稿では「被告」も「元会長」「氏」などを付けずに表記する)を思い出す。ゴーンによる改革も、当時は批判のほうが多かったが、2018年に逮捕されたゴーンに関わる疑惑と、その後の逃亡に関しては(重大かつ情けないことではあるが)さておき、ゴーンは2000年代初期、業績不振で倒産寸前だった日産を見事に復活させている。

 ツイッター社に関しても万年赤字だったようで、マスク氏は赤字からの早期脱却を目指しているのだろうが、やり方がやり方だけに批判も多い。はたして、超モーレツ勤務とリストラ戦略は正しいのだろうか。かつてゴーンのもと、日産自動車でエンジニアとして勤務していた筆者が、考察しよう。

文:吉川賢一
アイキャッチ写真:Adobe Stock_kavi surya
写真:NISSAN、Adobe Stock

【画像ギャラリー】カルロス・ゴーンが取り組んだ「日産リバイバルプラン」によって開発されたクルマたち(31枚)画像ギャラリー

工場を3か所閉鎖、従業員をグローバルで2万人削減

 「従業員7500人のうち半数を解雇」「激務に耐えられないならば退職」「月収2万ドルだったのにクビになった」「イーロン・マスクに意見をしたら、翌週から一緒に働くことになった」など、イーロン・マスク氏によるツイッター社改革についてはさまざまな報道がなされているが、実際にはどのような状況かわからないため、ゴーンのもと日産が1999年前後行った大規模リストラについて取り上げ、リストラの是非について考えたいと思う。

 日本のメガ企業である日産自動車が倒産寸前だったとは、耳を疑う話だが、1999年時点の日産のシェアは13.3%の過去最低水準に下落(1989年は18.6%)していた。この危機を脱するため、ゴーンが1999年10月18日に発表したNRP(日産リバイバルプラン、正確には、ゴーンの指示のもとで日本人のタスクチームが提案したプラン)は、社外的な発表ではあったが、社内的にも相当な衝撃が走ったそうだ。それまでの流れを継続しよう(維持さえしていれば大丈夫)と思い込んできた危機意識のない組織に対し、状況を周知するには、十分なインパクトだったと思う。なぜなら、翌年から自分の仕事がなくなる可能性が全員にあったからだ。

 このNRPの具体的な内容は、主に、村山工場など車両組立工場3か所、部品工場2か所を閉鎖、従業員をグローバルで約2万人削減したほか、下請企業を約半分にした、など。筆者は2000年以降に日産へ入社したため、リアルタイムでその時代を体験してはいないのだが、1999年前後の状況については、先輩方から聞いたことがある。日産社員の中には、村山工場の近くの八王子に住宅を建てた人が非常に多くいたそうで、村山工場廃止によって、「栃木や追浜、厚木へ転勤するか(それとも転職か)」と迫られ、泣く泣く転勤を選んだ人が多くいたという(筆者の元上司もそうだった)。

1999年10月に発表されたNRPでは、村山や日産車体京都、愛知機械港といった組立工場の閉鎖(工場従業員の異動やリストラ)や、不動産、有価証券といった資産売却、戦略的な株式保有の廃止、不採算車種の統廃合など、大規模なコストカットが行われた
1999年10月に発表されたNRPでは、村山や日産車体京都、愛知機械港といった組立工場の閉鎖(工場従業員の異動やリストラ)や、不動産、有価証券といった資産売却、戦略的な株式保有の廃止、不採算車種の統廃合など、大規模なコストカットが行われた

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