ホンダの新規セダン連続投入にある勝算  セダン不況なのになぜ!?

ホンダの新規セダン連続投入にある勝算  セダン不況なのになぜ!?

セダンが不況だ。ミニバン、SUVが大きな人気を誇る日本市場では、かつての「クルマのスタンダード」だったセダンが売れない。

みるみるセダンが減っているなか、ホンダが新規でセダンを投入し続けている。2018年7月にクラリティPHEV、2018年12月にインサイト、少しさかのぼれば2017年7月にシビックセダンを投入。

セダンを減らすならまだしも、増やし続けるのは販売面でのリスクがあるはずだ。なぜここまでしてホンダはセダンを国内投入するのか? その謎に迫ります。

文:岡本幸一郎/写真:ベストカー編集部


■ホンダだけがセダンを多く揃えるわけではないが……

2019年1月時点における国内各メーカーのOEM車や兄弟姉妹車を除く、純粋なセダンのラインアップの状況を調べてみた。

トヨタが8車種、レクサスが4車種、日産が5車種、ホンダが6車種、マツダが2車種、スバルが3車種であった。

日本のセダン市場が縮小の一途をたどる中、絶対的な車種の数としては、いまでもかなりあることがあらためて確認できる。

しかし、余談ながら軽自動車が主体のダイハツとスズキが現状セダンを持っていないのはわかるとしても、かつてはあれほどセダンを擁していた三菱が、いまや日本ではセダンを販売していないことがわかって、ちょっと驚いたりもした。

クラリティは燃料電池車のみならず、プラグインハイブリッドまで日本市場に投入した。たしかに魅力的な存在ではあるものの、販売面で考えるとかなり厳しいような雰囲気もするが

かたやホンダの6車種というのは、驚くほどではないにせよ、たしかに多いかなという気はするところ。

そこでホンダに「セダンが売れない日本市場で、なぜ多くのセダンをラインアップしているのか?」を問い合わせてみたところ、「他社と比べてとくに多いとは認識していない」旨の返事をいただいた。

とはいえセダンのラインアップが比較的充実していることには違いないと思うところ。

それについては、コンパクトクラスからラージクラスまで、上質な走りを重視するユーザーを中心に依然として根強いセダンのニーズがある。

それに対して各セグメントにおいてグローバルでも高く評価されているモデルを日本でも取り揃えているとのこと。

■ハイブリッドやPHEVなどにもセダンを投入するわけ

さらには、ますます関心の高まる電動化技術を駆使した次世代車についても、3種類ものハイブリッドシステムやPHEVなど持ち駒の多いホンダの強みを生かし、可能なものを提供すべく努力した結果こうなった、という具合である。

ただし、数としてはそれほど売れているわけではない。近年の販売台数は下記のとおり。

・レジェンド 2015年/2790台、2016年/829台、2017年/405台、2018年/996台
・アコード 2015年/3108台、2016年/4270台、2017年/3248台、2018年/1902台
・シビックセダン 2017年/1568台、2018年/4440台
・インサイト 2018年/1038台
・グレイス 2015年/2万4558台、2016年/1万2194台、2017年/9389台、2018年/7200台
・クラリティPHEV 2018年/145台

正直、ほかのメーカーであれば考え直すかもしれない数字の車種も見受けられるところだが、前記のように可能な限り「フルラインアップ」を維持することにこだわるのがホンダ流ということだろう。

インサイトはサイズからして苦戦しそうだ、という印象もあるのだが販売初月で1000台を超えた。クルマの評価は高くホンダなりの勝算があるようだ

そもそもホンダは、セダンに限らずクルマ全体のラインアップがほかに類を見ないほどワイドバリエーションだ。むろん手薄な分野もあるものの、世界レベルのスーパーカーから、件のセダンだけでなくSUVやミニバン、コンパクトカー、軽自動車まで、まさしくピンからキリまで網羅している。

それはあくまでユーザーを第一に考え、ユーザーの多様なニーズに対しできるだけ的確に応えようというホンダというメーカーの理念の表れであり、セダンについてもそれが当てはまるというに違いない。それは歴史からも見えてくる。

とはいえセダンについては、けっこう出遅れている。ホンダ初の4ドアセダンは、1969年に発売された「1300」だ。

ホンダ初のセダンとなったホンダ1300。当時としても珍しかった空冷を採用するなど本田宗一郎氏の意思が強く反映されたモデルだった

これはトヨタや日産はもとより、1963年「コルト1000」の三菱や1964年「ファミリア800セダン」のマツダ、1966年「スバル1000」のスバルに比べてもだいぶ後発となる。

当時のホンダの体力を考えると、やむをえなかったのだろう。

見た目は地味だが、中身はけっこう攻めていた「1300」と、その改良版である「145」だが販売的には成功せず短命に終わり、そのあとをうける形で、当初は2ボックスのみだった初代「シビック」に1973年に追加したセダンが一定の支持を得たあたりが序盤戦といえる。

次ページは : ■1970年代後半からホンダのセダン戦略が本格化

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