トヨタ センチュリーの歴史をたどる
●創業者の生年にちなんだ高級車として誕生した初代モデル
トヨタ センチュリーのデビューは1967年。この年はトヨタグループ創業者である豊田佐吉の誕生から100年にあたり、それにちなんでセンチュリーの名称が与えられた。
初代センチュリーは日本国内での公用車、あるいは社用車で利用されることを目的に開発されていて、主に後部座席の快適さや利便性に重点をおいたデザインをとり入れているのが特徴だった。実際に初代センチュリーは総理大臣専用車や皇族用の車両に採用されている。
初代モデルの登場は前述のとおり1967年だが、この時点ですでにクラウンなどの高級車とも一線を画す仕様のクルマであり、製造もいわゆるトヨタ方式ではなく、熟練工による手作業が中心だった。つまりセンチュリーにはそれだけのステイタスがあったということ。
販売台数が少なく、流行には左右されない高級車のセンチュリーは、初代モデルにマイナーチェンジを施しながら継続生産され、2代目登場の1997年まで、実に30年に渡ってトヨタの旗艦であり続けた。
●12気筒エンジンで武装した2代目
初代登場から30年、ついにセンチュリーがフルモデルチェンジされた。当然ながら30年の間に自動車設計&製造技術は大きく進歩し、2代目センチュリーにも最新技術が投入されているが、外観デザインは初代のイメージを踏襲していた。このため、見た目上はモデルチェンジがわかりにくかった。
2代目の特徴は国産車初のV型12気筒エンジンが搭載されたこと。排気量も堂々たる5リッターで、最高出力は280psを発生。車体の重さを十分カバーできるパワーが与えられている。
●現行型は2018年に登場
2代目センチュリーは2017年まで製造・販売が続けられ、いったん休止した後に2018年に3代目がデビューした。
3代目ではシリーズ初のハイブリッドシステムを採用。排気量こそ先代と同じ5リッターながら、エンジンはV12からV8に変更され、電動モーターを追加。このモーターと合わせた最高出力は431psと、先代を大きく上回っている。
ハイブリッドシステムによる燃費改善も著しく、先代の7.6km/Lから13.6km/L(JC08モード燃費)と大きな向上を見せた。
センチュリーのライバル
日本国内ではトヨタに次ぐ規模の自動車メーカーが日産。多くのカテゴリーにおいてトヨタの好敵手だった日産には、センチュリーに対抗するモデルもラインナップされていた。それが1965~2010年に販売されていたプレジデントだ。
登場そのものはセンチュリーより早く、モデル名のプレジデントは日本語では「大統領」や「社長」などといった意味を持つ。つまり、こうした肩書を持つ人々に向けて開発されたクルマがプレジデントだった。
デビューの早さを生かして当初の販売台数はセンチュリーより多く、その後しばらくの間はセンチュリーとプレジデントの間でショーファーカーのシェアを巡る激しい戦いが繰り広げられた。
初めのうちは販売実績で先行していたプレジデントだったが、1980年代になるとセンチュリーに逆転を許してしまう。さらにセンチュリーが基本的に専用設計&製造だったのに対してプレジデントはベースモデルが何度か変更されるなどの迷走状態に入ってしまい、2010年には45年の歴史に幕を閉じることになる。
コメント
コメントの使い方いくら何でも次期型ってことは無いでしょう。
センチュリーの派生車種の位置付けでは?
天皇陛下や総理大臣の乗るクルマが格下FFSUVって…。