自動車メーカーが新型車を発売する際には宣伝を行うが、特に力を入れているモデルは派手なキャンペーンとともに登場することが多い。そのキャンペーンが成功して新車の販売にもつながればいいのだが、なかには竜頭蛇尾に終わってしまう悲しいクルマも……。
今回は、まるでお祭り騒ぎのようなプロモーションでデビューしたクルマたちのその後を追っていきたい。果たして派手な宣伝と売り上げ台数、そしてそのクルマの価値はシンクロしたのか?
文/長谷川 敦、写真/トヨタ、日産、マツダ、三菱自動車、FavCars.com
異業種合同プロジェクトの犠牲者?「トヨタ WiLLシリーズ」
1999年8月に、トヨタ、アサヒビール、花王株式会社、近畿日本ツーリスト、松下電器産業の5社が合同でスタートさせたプロジェクトがWiLL(ウィル)。参加各社がWiLLのブランド名の下にそれぞれのジャンルでの製品(近畿日本ツーリストは旅行プラン)を販売するという一大プロジェクトだった。
新たな消費スタイルを開拓するという目的で立ち上がったこのWiLLに向けて、トヨタでは3タイプの新型車WiLL Vi、WiLL VS、WiLL サイファを誕生させた。
WiLLブランドの1号車がヴィッツベースのWiLL Vi。注目はそのデザインで、かぼちゃの馬車をイメージしたというボディフォルムの独創性が際立っていた。また、季節ごとに限定カラーを登場させるなどのキャンペーンを行ったが、残念ながら販売成績は伸びず、約2年で販売が終了している。
シリーズ第2弾は2001年登場のWiLL VS。こちらはカローラのコンポーネンツを流用したモデルであり、先行のWiLL Viとはかなり趣の異なるクルマだった。実用性よりもスタイリングを重視したWiLL VSはそれなりの注目を集め、Viよりも長期間販売されたが、2004年には販売終了となった。
WiLLシリーズ最後のモデルがWiLLサイファ。このクルマはVi同様に初代ヴィッツをベースにしていて、Viに比べればおとなしいものの、やはりかなり奇抜な見た目をしていた。
WiLLサイファの発売は2002年10月。すでにこの時期にはWiLLプロジェクト自体が勢いを落としつつあり、WiLLであることが必ずしも販売戦略上のプラスにはならない状況にあった。そしてトヨタの販売店統合(ビスタ店とネッツ店)などの影響もあり、2005年にはその短い歴史を終えている。
大企業の合同プロジェクトということで発足直後は大きな注目を集めたWiLL自体も、各メーカーの温度差や、思惑どおりに販売成績が伸びなかったことで2004年には事実上の終焉を迎えてしまう。それがトヨタ WiLL3兄弟の悲劇につながったのかもしれない。
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